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ベルリン・コーミッシェ・オーパー(Komische Oper Berlin)は、ベルリンミッテ地区にある歌劇場。ベルリン国立歌劇場(Staatsoper Unter den Linden)、ベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper Berlin)、ベルリン国立バレエ団(Staatsballett Berlin)、舞台総合サービス(Bühnenservice-GmbH)と並んで財団法人オペラ・イン・ベルリンに属している。ベルリン・コーミッシェ・オーパーでの上演は基本的に外国作品やモーツァルト等のイタリア語作品でもドイツ語訳で行われている(これはドイツ圏の中規模オペラハウス、例えばウィーン・フォルクスオーパーなどでは通常のことであるが、あえて海外公演でも訳詞作品を取り上げ続けるなど、同劇場の訳詞上演ポリシーは突出しており、日本でもドイツ語のカルメンなどを上演した)。1,270席。 == 歴史 == 1947年、オーストリアの演出家ヴァルター・フェルゼンシュタイン(Walter Felsenstein)が全く新たなアンサンブルメンバーと共にベルリン・コーミッシェ・オーパーを設立。同年12月23日フェルゼンシュタイン演出「こうもり (オペレッタ)」(ヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇)の上演によって、劇場の歴史の幕が開いた。(“コーミッシェ・オーパー”の名は、フランスの伝統ある“オペラ・コミック”からのドイツ語への翻訳である。) 1975年の死去までインテンダント(芸術総監督)と主席演出家を兼任したヴァルター・フェルゼンシュタインの活躍により、ベルリン・コーミッシェ・オーパーは現代のムジークテアター(Musiktheater)の先駆として世界的に認知されている。特にフェルゼンシュタインの演出による「ホフマン物語」(オッフェンバック作曲)、「青ひげ」 (オッフェンバック作曲)、「椿姫」(ヴェルディ作曲)等は名声を獲得している。歴代の常任指揮者にはレオ・シュピース、オットー・クレンペラー、ヴァーツラフ・ノイマン、ロルフ・ロイター、クルト・マズア、ヤコフ・クライツベルクらが就いた。 1965年から1966年の間には、劇場及び観客席に大規模な改築・改装が施され、運営部門の建物も増築された。 1966年12月4日に、フェルゼンシュタイン演出「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト作曲)をもって再開。また、この機にベルリン・コーミッシェ・オーパーに新たにタンツテアター部門が設けられた(現在は解散している)。 設立者フェルゼンシュタインの死後は、この伝統ある劇場のインテンダント(芸術総監督)と主席演出家の席には彼の弟子であったヨアヒム・ヘルツが着任(1976年から1980年まで)した。 1981年からは、ハリー・クプファーが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」演出の大成功とともに主席演出家に就任した。その後、演出家アンドレアス・ホモキが2002年に主席演出家に、加えて2003年よりインテンダントを兼任した。 2002年から2007年までキリル・ペトレンコが就いていた音楽総監督の席には、2008年よりアメリカ人指揮者のカール・セントクレアが就任している。 インテンダント兼主席演出家だったアンドレアス・ホモキは2012年よりチューリヒ歌劇場のインテンダントに就任し、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの後任にはオーストラリア出身の演出家バリー・コスキーが就いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベルリン・コーミッシェ・オーパー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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