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ベル・エキセントリック : ウィキペディア日本語版 | ベル・エキセントリック
『ベル・エキセントリック』 (BELLE EXCENTRIQUE) は、1981年7月25日に発売された加藤和彦の7枚目のソロ・アルバムである。安井かずみとのコンビによるコンセプト・アルバム 『ヨーロッパ三部作』〔『パパ・ヘミングウェイ』 (1979年) 、『うたかたのオペラ』 (1980年) 、『ベル・エキセントリック』 (1981年) の3枚の海外録音によるアルバム。〕 の第3作であり、パリと東京で録音された。 ==解説== 『ベル・エキセントリック』 は1920年代のパリにおける男女の情景を描いたアルバムである。フランスをテーマにしたアルバムの着想は、すでに 『パパ・ヘミングウェイ』 の制作時点からあったが、作詞を手がけた安井かずみが準備期間を要求したために一時棚上げされ、先にベルリンをテーマとしたアルバム 『うたかたのオペラ』 が制作された〔出典 『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』 加藤和彦・前田祥丈著 スペースシャワーブックス 2013年〕。その後、着想から2年経った1981年にあらためてピカソやコクトー、ディアギレフ、アンリ・ド・ロチルドなどが生きた1920年代のパリをコンセプトとする本作の構想が打ち出される。この時期、加藤夫妻の実生活での会話は1920年代のパリの話題で占められていたという〔。 本作でも 『ヨーロッパ三部作』 の他の作品と同じく、テーマに基づいて録音場所を選び、合宿による現地録音〔加藤はヨーロッパ三部作の海外レコーディングを 「高級合宿」 と称していた。 (出典 『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』 加藤和彦・前田祥丈著 スペースシャワーブックス 2013年)〕でミュージシャンのテンションを高めるという録音方針が踏襲され、録音にはフランスのパリ郊外にある古い城館を改装したシャトゥ・スタジオ 〔このスタジオの日本語による呼称は、ほかにも 「ストロベリー・スタジオ」、「レ・シャトー」、「シャトー・デ・エルビーユ」、「シャトー・ヴェルヴィル」 など種々あるが、本項は1981年発売のオリジナル・アナログレコードの表記に拠る。〕が選ばれた。主要な録音メンバーは前作とほぼ同じだが、急病のため前作に参加できなかった坂本龍一が復帰し、本作は 『ヨーロッパ三部作』 の中で唯一YMOのメンバー全員が海外で録音したアルバムとなった。 ミュージシャンたちが渡仏したのは1981年4月で、渡仏メンバーのうち高橋幸宏は大村憲司とともにソロ・アルバムの制作のため滞在していたイギリスから駆け付けた。レコーディングは波乱含みで始まったが〔シャトゥは専属のシェフによる賄いつきで、ワインセラーがあり、テニスや乗馬も可能な環境にあったが、当時の就寝設備や水道などの居住環境は劣悪で、不安定な電圧や乏しい機材、楽曲の不備にも悩まされながらレコーディングが行なわれた。ことに楽曲は大部分が現地で作られ、加藤と安井は昼間のレコーディングが終了したのち、翌日に録音する楽曲の作詞作曲をするという強行軍だった。 (出典 『バハマ・ベルリン・パリ ヨーロッパ3部作』 リットー・ミュージック 2014年)〕、約1週間のシャトゥ滞在で6曲〔楽曲毎の録音場所は#1、#2、#3、#6、#8、#10がシャトゥ録音、#4、#5、#7、#9が東京録音である。〕が録音され、帰国後東京で打ち込みを主体にした4曲の追加レコーディングおよび、入念なダビングとミキシングが行われた。サウンド面では全体的にエフェクトが多用され、牧村憲一によると、シャトゥ録音のテープのほとんどすべてのトラックには何らかの加工が施されており、ほぼ生音が残っていると思われる部分は坂本が演奏したチェンバリン〔この楽器は メロトロンの前身にあたる鍵盤楽器で、偶然シャトゥに放置されていたものだという。 (出典 『バハマ・ベルリン・パリ ヨーロッパ3部作』 リットー・ミュージック 2014年)〕のパートのみであるという〔出典 『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』 牧村憲一著 スペースシャワーブックス 2013年〕。
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