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ベル・スター(Belle Starr)ことマイラ・メイベル・シャーリー・リード・スター(Myra Maybelle Shirley Reed Starr, 1848年2月5日 – 1889年2月3日)は、アメリカ西部開拓時代の女性。伝説化されたその生涯により無法者とされ、俗に山賊女王(Bandit Queen)、女ジェシー・ジェイムズ(Female Jesse James)などと呼ばれている。 == 来歴・人物 == === 誕生、少女時代 === ベル・シャーリーは1848年、ミズーリ州カーセッジ(Carthage)の近くにあるジャスパー(Jasper)の比較的裕福な農園主の娘として生まれた。父ジョン(John Shirley)はヴァージニア州の裕福な家庭のはみ出し者で、母イライザ(Eliza Pennington Shirley)は3人目の妻であったが、1839年にミズーリ南西部に移住して小麦・トウモロコシの栽培と馬・家畜の飼育で一財をなした。イライザはハットフィールド家とマッコイ家の争いで有名なハットフィールド家(Hatfield family)の出身であった。 1856年、ベルが8つの時に父は農園を売り払って一家を連れてカーセッジへ移り住み、宿屋と貸し馬屋と馬蹄屋を経営するようになった。ベルは町の女学校(Carthage Female Academy)へと通い、通常のカリキュラムに加え音楽と古典語を学び、優秀な成績を修めた。4人兄弟の中でも兄バド(Bud、本名John Alexander Shirley)と共に外で遊ぶことが多く、バドからは馬の乗り方と銃の撃ち方を学んだ。南北戦争ではシャーリー一家は南軍に協力し、バドはジェシー・ジェイムズやコール・ヤンガーとともにウィリアム・クェントリルの指揮するゲリラ部隊で活動した。しかし1864年アジトに潜んでいたバドは侵攻した北軍に急襲されて殺された。 戦後、シャーリー一家はバドを失った悲しみと共に戦争で破壊された町と商売に見切りを付け、テキサス州ダラス南東の小村シーン(Scyene)に800エーカーの農場を買って移住した。当時のテキサスは彼らのような根無し草や無法者に開かれた最後の楽園であった。移住した当初は間に合わせの掘っ立て小屋で暮らしていたが、トウモロコシ・モロコシの栽培と肉牛・馬・乳牛・豚の飼育が軌道に乗ってくると、馬の取引や種付けも行うようになった。その内、シャーリー家は農場に逃げ込んできた元・南軍兵の無法者たちを匿い、彼らと親交を結ぶようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベル・スター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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