|
ベレジナ川(, IPA: ; ; Berezina, Beresina)は、ベラルーシの中央部を流れる河川。ドニエプル川の右支流である。流域のベレジナ保護区は、ユネスコの生物圏保護区にも指定されている。 ベレジナ川は、ベラルーシ北部を南西から北東へ伸びる丘陵地帯・ベラルーシ高地に発する。水源はレペリ市の近くにあり、ベレジナ川国立公園に指定されている。ここから国土の中央を北から南へ流れ、ボリソフ(バリサウ)、バブルイスク(ボブルイスク)、シヴィェトラホルスク(スヴェトロゴルスク)などの大きな街を通過する。ホメリ市(ゴメリ)から北西に離れた場所で、ドニエプル川に西から合流している。 主な支流には、ベラルーシの首都ミンスクを流れるシヴィスワチ川がある。 == ベレジナ川を巡る歴史 == * スウェーデン王カール12世は、ロシア皇帝ピョートル1世との大北方戦争においてロシア侵攻を決意し、1708年6月25日に大軍を率いてベレジナ川を渡ったが、ロシア側の焦土作戦と冬将軍により軍勢は弱体化し、翌年のポルタヴァの戦いでの大敗につながった。 * ベレジナ川の名を有名にしたのは、ナポレオン戦争中の1812年ロシア戦役における「ベレジナの戦い」である。ナポレオン1世率いる大陸軍は10月よりモスクワからの退却を始めたが、焦土作戦と極度の寒さで兵力の多数が脱落した。11月26日から11月29日にかけて、ベレジナ川にポンツーン橋を架けて渡河しようとした大陸軍にミハイル・クトゥーゾフ率いるロシア軍が襲いかかり、フランス軍に壊滅的な打撃を与えた。ベレジナは、フランスおよび大陸軍に参加したスイスなどの各国にとって、災難や災厄の代名詞となった。 * 独ソ戦では、1944年夏の赤軍の大反攻(バグラチオン作戦)でドイツ国防軍は総崩れとなり、第4軍はベレジナ川を渡りミンスクへ退却する途中で包囲され、少数の部隊を残して殲滅された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベレジナ川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|