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ベンガル・スルターン朝 : ミニ英和和英辞書
ベンガル・スルターン朝[べんがる するたーんちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

ベンガル・スルターン朝 : ウィキペディア日本語版
ベンガル・スルターン朝[べんがる するたーんちょう]

ベンガル・スルターン朝(ベンガル・スルターンちょう、英語:Bengal Sultanate)は、東インドベンガル地方に存在したイスラーム王朝1342年 - 1531年)。ベンガル王国とも呼ばれる。首都はガウル(ゴウル)とパーンドゥアー
==歴史==

===前期イリヤース・シャーヒー朝===
デリー・スルターン朝トゥグルク朝の時代、1330年代にムハンマド・ビン・トゥグルクが失政を重ねたことにより、各地で反乱が起きた。南インドではすでに、1334年マドゥライ・スルターン朝というムスリム王朝が成立し、1336年にはヒンドゥー王朝ヴィジャヤナガル王国が成立するなど、トゥグルク朝の広大な領土は解体しつつあった。
そして、1342年にベンガル地方の長官シャムスッディーン・イリヤース・シャーもトゥグルク朝から独立し、ベンガル・スルターン朝を建国した(前期イリヤース・シャーヒー朝)〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.57〕。創始者シャムスッディーン・イリヤース・シャーはベンガルの独立を強く意識し、その正当性と権威と明白にするため、自分の硬貨に「第2のアレクサンドロス、カリフの右腕」と記している〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕。
しかし、1353年にトゥグルク朝の君主フィールーズ・シャー・トゥグルクは失地回復のためベンガルへと軍を進め、ベンガルの首都パーンドゥアーを攻め落とした〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.57〕。だが、イリヤース・シャーはエクダーラーの要塞に籠城したため〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.166〕、1354年にトゥグルク朝の軍はデリーへと引き上げた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.57〕。
その息子シカンダル・シャーの時代、1358年にフィールーズ・シャー・トゥグルクが再びベンガルに攻めてきたが、トゥグルク朝の軍は苦戦し、1359年に和平協定が結ばれベンガル王国は独立を認められた〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。その後、1389年にシカンダル・シャーはその息子ギヤースッディーン・アーザム・シャーによって殺害された〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕。
ギヤースッディーン・アーザム・シャーは1405年1407年に明の永楽帝に使者を送り朝貢するなど、国際的にも広い視野を持っていたことで知られる〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.167〕。また、彼はメッカメディナマドラサ建設費用を負担している〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158〕。
1410年、ギヤースッディーン・アーザム・シャーは死亡し、有力な家臣の一人でヒンドゥー教徒のラージャ・ガネーシャが政治の実権をもつようになった。その後もラージャ・ガネーシャの専横は増し、1414年シハーブッディーン・バーヤズィード・シャーを殺害し、同年にはその息子アラーウッディーン・フィールーズ・シャーも退位させて王位を簒奪した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。
こうして、前期イリヤース・シャーヒー朝に代わり、新たにラージャ・ガネーシャを祖とするラージャ・ガネーシャ朝が成立した〔堀口『世界歴史叢書 バングラデシュの歴史』、p.58〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.131〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベンガル・スルターン朝」の詳細全文を読む




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