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ベンジャミン・イサドア・シュウォルツ (Benjamin Isadore Schwartz、1916年12月12日 - 1999年11月14日)は、アメリカの中国研究者。ハーバード大学で教授を務めた。 ==略歴== シュウォルツは1916年12月にドイツ系ユダヤ人移民の子として、マサチューセッツ州イースト・ボストンに生まれた。彼は1934年にボストン・ラテン高校を卒業し、1938年にハーバード大学を近代諸語の分野で卒業した。卒業時の成績はマグナ・カム・ラウダで、論文の題目は「パスカルと18世紀フランスの啓蒙思想家」だった。その後、彼は高校の教員になっていたが、第二次世界大戦が始まると軍隊で日本語を学び、陸軍通信隊の情報部門で日本の通信を傍受する役目をはたした。戦争が終わるとシュウォルツは占領下の日本に派遣され、大阪で新聞を検閲する任務に就いている。 軍務を終えたシュウォルツはハーバード大学に戻り、1950年に歴史と極東言語の分野で博士号を取得した。同年、ハーバード大学の歴史学と政治学の講師として就職すると、1960年には正教授になり、1975年から1987年に退職するまでリロイ・B・ウィリアムズ歴史学・政治学教授を務めた。1983年から84年はフェアバンク中国研究センターの所長代理を務めた。退職の際には記念論文集が編まれ、1990年に『文化を横断する観念――ベンジャミン・I・シュウォルツ記念中国思想論集』としてハーバード大学アジアセンターから出版された。 シュウォルツは1979年にアジア研究協会会長に選ばれ、1997年にはアジア研究協会功労賞を受けている。2006年には上海の華東師範学校で「シュウォルツと中国」と題した生誕90周年記念の国際会議が開かれている。 その生涯をハーバード大学と中国研究に捧げたシュウォルツは、1999年12月にマサチューセッツ州ケンブリッジの自宅で亡くなった。彼には妻バーニスと、息子と娘、それから4人の孫がいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベンジャミン・I・シュウォルツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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