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ベンジャミン・モレル : ミニ英和和英辞書
ベンジャミン・モレル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ベンジャミン・モレル : ウィキペディア日本語版
ベンジャミン・モレル

ベンジャミン・モレル(、1795年7月5日 - 1839年)は、アメリカ合衆国アザラシ漁船船長かつ探検家であり、1823年から1831年の間に主に南極海太平洋諸島への一連の航海を行い、その体験を『4つの航海の話』という話題の多い回顧録に記録した。同時代人の中でのモレルの評判は虚偽と空想のものであり、特に南極での経験に関する証言は、一部ゴーストライターの書いたものとして、地理学者や歴史家の間で議論になってきた。
モレルは若い時から波乱の多い人生を送り、12歳で海に逃げ出し、米英戦争の間には2度イギリスに捕まって投獄された。その後は水夫として船に乗組んだ後、一等航海士に指名され、さらに後にはニューヨークのアザラシ漁船''ワスプ''の船長となった。1823年、''ワスプ''を駆って亜南極海域まで長期航海を行い、その後にその評判を巡って論争の大半が起きた4つの航海の最初のものになった。ブーベ島に最初に上陸したこと、ウェッデル海を南緯70度まで進行したこと、ありそうにないくらい高い緯度で3,500海里 (6,500 km) の距離を異常な速さで進んだこと、ニューサウスグリーンランドと呼んだ陸地の海岸線を発見したこと、などその主張したことの多くは、疑われ、あるいは嘘だと分かってきた。後の3回の航海は別の船に乗っており、それほど議論の対象になっていないが、様々な出来事に関する叙述は、空想の産物あるいは馬鹿げた話だとして無視されてきた〔。モレルはその話の中に他人の経験を入れるという癖があると認められており、その信頼性の無さはさらに悪い方向に進みもした。
モレルは「地理学者にとっての躓きの石」であるが〔、特定の著作家や歴史家から弁護されてもいる。彼らはモレルの疑わしい主張にその理由を見い出し、基本的な正直さを認めてもいる。モレルの同時代人は彼に対して寛大ではなかった。その不誠実という評判は、本の出版後に海での経歴を続けようという試みには障害となり、雇用されるのが次第に難しくなっていったのを理解した。モレルは太平洋に戻る途中の1839年、モザンビークで罹った熱病で死んだと考えられている。
== 生い立ちと初期の経歴 ==

モレルは1795年7月5日に、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウエストチェスター郡ライ市で生まれた。父はやはりベンジャミンという名であり、ライの造船所で雇われていた〔。モレルは最小限の教育を受けた後に、12歳の時に「私の家族の誰にも暇乞いするでもなく、他の誰一人として私の目的を告げるでもなく」海に逃げ出した〔Morrell, Introduction, pp. ix–xi〕。モレルが海に出ている間に勃発した米英戦争のとき、イギリス軍に2度捕まえられた。最初に小麦を積んだ貨物船に乗ったときに、ニューファンドランド島セントジョンズ沖で差し押さえられ、8か月間拘束された。2回目の航海ではイングランドダートムーアにある牢獄で2年間を過ごすことになった〔H.R.Mill, p. 104〕。釈放された後には海での経歴を続け、船の士官になるには教育が無かったので、普通の水夫として過ごしていた〔。モレルに目を掛けてくれた船長ジョサイア・メイシーが、士官として資格を得るために必要な事項を教えてくれ〔、1821年にはアザラシ漁船''ワスプ''の一等航海士に指名された。船長はロバート・ジョンソンだった〔。
''ワスプ''は、3年前にイギリスのウィリアム・スミス船長が発見していたサウス・シェトランド諸島に向かった〔H.R.Mill, pp. 94–95〕。モレルはこの諸島の話を既に聞いており、そこに行くことを切望していた〔。航海中に一連の「異例の冒険」に巻き込まれた〔。それにはあやうく溺れそうになったり、乗っていた小さなボートが強風で母船から50海里 (93 km) も吹き流され遭難しかかったことや、''ワスプ''が氷に捉えられたときに脱出するための動きを指示したことなどが含まれていた〔H.R.Mill, p. 105〕。ニューヨークに戻ってからの日々に、モレルが''ワスプ''の船長に指名され、ジョンソンはスクーナーの''ヘンリー''の船長になった〔。この2隻は合同で南極海に戻り、アザラシ漁、交易、探検を任務とし、「都合の良い条件下にあれば、南極点に行き着く実行可能性を確認する」こととされていた〔Morrell, p. 30〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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