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ベント・ラーセン : ミニ英和和英辞書
ベント・ラーセン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ベント・ラーセン : ウィキペディア日本語版
ベント・ラーセン[ちょうおん]

ベント・ラーセン(Bent Larsen、1935年3月4日 - 2010年9月9日)は、デンマークチェスプレーヤー
コペンハーゲン生まれ〔有田謙二 著 『チェス・マスター・ブックス 5 やさしい実戦集』 河出書房新社1976年6月15日初版発行、174頁。〕。21歳でグランドマスターとなる〔。1970年代初期にはボビー・フィッシャーと自由主義圏No.1を争うほどの実力者であった〔。
かつては共産圏以外ではチェスのプロ制度がある国は少なかったが〔、その時代にあってラーセンはフィッシャーと並ぶ自由主義圏における数少ないプロのチェスプレーヤーとして知られていた〔。
1970年ベオグラード(当時ユーゴスラビア)で開催されたソ連チーム対世界チーム戦〔ソ連とソ連以外の国のトッププレーヤー10人が同一相手と4局ずつ対戦し、ソ連1カ国と世界との強さを競い合う大会。〕ではラーセンは世界チームの大将となり〔、ソ連チームの大将であるボリス・スパスキーと戦い〔、1勝1引き分け1敗だった〔。4局目は補欠のレオニード・シュタインがスパスキーに代わりラーセンと対局した〔『やさしい実戦集』、174-175頁。〕。なおこの大会でラーセンが負けた2局目はラーセン・オープニングの代表的なゲームとして多くのチェスの書籍で紹介されている〔『やさしい実戦集』の174-184頁でもこのときのゲームが紹介されている。〕。
1973年にはフィリピンマニラで開催されたトーナメント終了後に日本を訪れ、在日外国人を含む49人と約4時間半かけて同時対局し、45勝3敗1引き分けという好成績を残した〔東公平 著 『ヒガシコウヘイのチェス入門』河出書房新社、1975年、195頁。〕。
2010年9月9日アルゼンチン首都ブエノスアイレスにて急逝〔Dänischer Großmeister Larsen gestorben Spotal.de 2010-9-10〕。。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベント・ラーセン」の詳細全文を読む




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