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ベンジャミン・ベッカー(Benjamin Becker, 1981年6月16日 - )は、ドイツ・ザールラント州メルツィヒ出身の男子プロテニス選手。強力なサービスを最大の武器にして、2006年の全米オープン3回戦でアンドレ・アガシを破り、「アガシの現役最後の対戦相手」としてよく知られる。彼の名前は、ドイツの往年の名選手ボリス・ベッカーとイニシャルが同じであることから「もう1人のB・ベッカー」と呼ばれることがある。自己最高ランキングはシングルス35位、ダブルス58位。これまでにATPツアーでシングルス1勝を挙げる。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == ベッカーは7歳からテニスを始め、2001年から2005年までアメリカ・テキサス州にあるベイラー大学のテニスチームに所属した。その間、2004年にNCAAのシングルス戦に優勝し、全米大学チャンピオンとなる。大学卒業後の2005年、ベッカーは24歳という遅い年齢でプロ入りした。 2006年のウィンブルドンで、ベッカーは初めて4大大会の予選会を通過した。初めての本戦では1回戦でフアン・イグナシオ・チェラ(アルゼンチン)を破った後、2回戦でフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に破れた。同年の全米オープンでは、1回戦でフィリッポ・ボランドリ(イタリア)、2回戦でセバスチャン・グロジャン(フランス)を破って勝ち進む。3回戦の対戦相手は、この大会が現役最後であると表明していたアンドレ・アガシに決まった。アガシは1986年から「21年連続」で全米オープンに連続出場を続け、1999年に男子テニス史上5人目の「キャリア・グランドスラム」を達成した名選手である。当時まだ無名選手だったベッカーは、36歳のベテラン選手に 7-5, 6-7, 6-4, 7-5 で勝利を収めた。その後4回戦でアンディ・ロディックに敗退した。全米オープンの1ヶ月後、ベッカーはジャパン・オープンで初来日し、ロジャー・フェデラーとの準決勝まで勝ち進んだ。これらの活躍により、ベッカーのランキングは2006年初頭の421位から、11月には62位まで上昇した。ベッカーはこの年に男子プロテニス協会の「最優秀新人賞」(Newcomer of the Year)を受賞した。 2007年2月、ベッカーは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのドイツ代表選手に初起用され、「ワールドグループ」1回戦でクロアチアと対戦したが、シングルス戦を2試合とも落とした。(その後、ベッカーのデビスカップ出場はない。)同年5月から、ベッカーは自分と同じイニシャルのボリス・ベッカーのウェアを真似るようになったという。9月のタイ・バンコク大会で初のシングルス決勝戦に進み、ドミトリー・トゥルスノフ(ロシア)に 2-6, 1-6 で敗れて準優勝になった。2008年ウィンブルドンで、ベッカーは1回戦で第4シードのニコライ・ダビデンコ(ロシア)をストレートで破った後、続く2回戦でアルノー・クレマン(フランス)に敗れた。 ベッカーはそれからしばらく低迷に悩み、2008年全米オープンの予選1回戦敗退などで世界ランキングが大幅に下降した。2009年の前半、ベッカーは男子ツアー下部組織のチャレンジャー大会群でシングルス4勝を挙げる。6月のウィンブルドン前哨戦の1つとして開かれるスヘルトーヘンボスの「オーディナ・オープン」で、ベッカーは予選から決勝に勝ち進んだ。決勝戦では世界ランキング866位から勝ち進んだ地元オランダ人選手のレイモン・スルーターに 7-5, 6-3 で快勝し、ベンヤミン・ベッカーはこの地でツアー初優勝を決めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベンヤミン・ベッカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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