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ペウケスタス ペウケスタス(希:Πευκεστας、ラテン文字転記:Peucestas、紀元前4世紀)はアレクサンドロス3世(大王)に仕えたマケドニアの将軍である。彼はアレクサンドロス(大王とは別人)の子であり、マケドニアのミエザの生まれである。 == アレクサンドロスの下で ==
ペウケスタスが史書において初めて言及されたのは紀元前326年にヒュダスペス川を下る際の三段櫂船艤装奉仕の担当者の一人としてであり、それ以前の彼の働きは知られていない〔アッリアノス, 『インド誌』, 18〕。 ペウケスタスが一躍有名になったのは紀元前325年のマラヴァスへの攻撃においてである。その時王に付き添っていた彼は、一人敵の真っ只中に飛び込んで危険に陥った王をレオンナトス、アブレアスと共に助け、トロイのアテナの神殿から取ってきた聖なる盾で庇い、負傷した〔アッリアノス, 『アレクサンドロス大王東征記』, VI. 9, 10〕。この功績によりペウケスタスは東征の軍功第一位に選ばれ、スサではいの一番に功績に金の冠でもって報いられた〔ibid, VII. 5〕。ペルセポリスに着いた時にペルシス太守に任じられた〔ibid, VI. 30〕。なお、それに前後して彼は王の側近護衛官に昇進しており、その時王は彼のために本来は七人だった定員を一人分増やすという特例処置をとった〔ibid, VI. 28〕。 太守としてのペウケスタスはペルシアの服装と風習を積極的に取り入れることによってペルシア人の支持を得たが、マケドニア人からは不興を買った〔ibid, VI. 30, VII. 6〕。紀元前323年の春、 20000のペルシア人兵士を率いたペウケスタスはバビロンへと病に臥せっていた王の元にはせ参じ〔ibid, VII. 23〕、王が危篤の時にはサラピス神殿で参籠した〔ibid, VII. 26〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペウケスタス」の詳細全文を読む
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