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ペク・ナムスン ( リダイレクト:白南淳 ) : ウィキペディア日本語版 | 白南淳[ぺく なむすん]
白 南淳(ペク・ナムスン、、1929年3月13日 - 2007年1月3日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党党員。長らく外交関係に従事し、南北交渉を担当。1998年9月から死去するまで外務相を務めた。白南俊〔「淳」の韓国語は「スン」、日本語は「ジュン」;「俊」の日本語は「シュン」、韓国語は「ジュン」〕とも表記する。 == 経歴 == 日本統治時代の京畿道水原市(現在は大韓民国)に生まれる。金日成総合大学卒業後、対外文化連絡協会副委員長やポーランド駐在大使を務めたのち、1989年に朝鮮労働党の統一戦線部副部長に就任。その後も、1991年に祖国統一汎民族連合北側本部副議長、1992年に南北高官級会談政治分科委員会委員長などの要職を歴任し、1998年9月5日に外務相に就任。2004年には日本の川口順子外相(当時)と会談し、日本人拉致被害者の家族との面会に合意した。 2006年の東南アジア諸国連合地域フォーラムでも会議に出席する傍ら、病気療養を続けていたが、翌年1月3日、外相職に在職のまま死去。北朝鮮の最高指導者である金正日から花を贈られている。 なお、白の死去による北朝鮮の外交政策に対する影響は姜錫柱(カン・ソクジュ)第一外務次官(のち副首相に昇格)が実質的な外交の責任者であるため影響はほとんど無かった。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paek Nam-sun 」があります。
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