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ペスト医者(ペストいし、 )あるいはイタリア語でメディコ・デッラ・ペステ ( ) とはペストにかかった患者を専門とする医者のことで、黒死病が蔓延した時代に多くのペスト患者を抱えた街から特別に雇われた者たちである〔Cipolla, p. 65〕。報酬も街から支払われたため、ペスト医者は貧富の隔てなく誰であろうと治療を施した〔Cipolla, p. 68 3/4 down page〕。本来であれば専門的な訓練を受けた経験豊かな外科医や内科医の仕事だが、彼らは往々にしてよそでは商売がなりたたない二流の医者か自分の身を立てようとする若い医者だった〔。 ペスト医者は契約にもとづきペスト患者を治療するため、町医者あるいは「地域ペスト医」(community plague doctors)という名で知られていた。一方で「一般開業医」としての医者も別にいて、両者がヨーロッパの一つの都市や街に同時に存在するということがありえた〔〔Ellis, p. 202〕〔Byrne (Daily), p. 169〕〔Simon, p. 3〕。フランスとオランダでは医学訓練が不足している者がペスト医者となることもしばしばで「実験主義者」とあだ名されるほどだった。医者として雇われる以前には果物売りをしていた者さえいたという〔Byrne, 170〕。 17世紀および18世紀には、瘴気論により感染の原因とみなされていた悪性の空気から身を守るため、香りの良いものをつめた嘴のかたちの仮面をつけるペスト医者が現れている〔Irvine Loudon, ''Western Medicine: An Illustrated History'' (Oxford, 2001), pp. 184, 189〕。概してペスト医者になることは喜ばしいことではなく、辛く危険な仕事であり、ペストが大流行した時代に彼らが生き残る可能性はほんのわずかなものだった〔Cipolla, pp. 65-69〕〔Robert S. Gottfried, ''The Black Death: natural and human disaster in medieval Europe'' (Simon & Schuster, 1983), p. 49.〕。そして彼らの仕事には本当にペストの流行を食い止める効果があったのかも定かではない〔。 ==歴史== 黒死病が蔓延した時代にクレメンス6世は捕囚中のアヴィニョンで病人たちの世話させるため何人ものペスト医者を特別に雇った。ヴェネツィアには18人のペスト医者がいたが1348年まで残ったものは1人しかいなかった。5人がペストで死に、12人が行方不明となったが、おそらくは逃げ出したのである〔Byrne, 168〕。 腺ペストが蔓延した最初の記録は500年代半ばにまで遡る「」である〔Gordon, p. 471〕。最大の流行であれば14世紀ヨーロッパの黒死病が挙げられるが、いずれ腺ペストの影響で人口が激減した中世の都市は経済的にも大打撃を受けた。そのような中で地域ペスト医はきわめて得がたい存在であり、彼らには特権的な地位が与えられていた。たとえば自由に剖検を行うことが出来たが、これは中世ヨーロッパにおいては原則として禁止されており、彼らにもペストの治療法を研究するためにだけ認められているものだった。またオルヴィエートの街が1348年に雇ったマッテオ・フ・アンジェロは普通の医者が年に50フローリンという時代にその4倍の報酬を得ていた〔Byrne (Daily), p. 169〕。 ペスト医者はたいへん貴重な存在であったため、1650年にバルセロナが2人の医者をトゥルトーザに派遣したときは、無法者が彼らを途中で捕まえ、身代金を要求するという事件が起こった。バルセロナの街は人質の解放のため、それを支払ったという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペスト医師」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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