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ペピ2世 : ウィキペディア日本語版
ペピ2世[ねふぇるからー ぺぴ]

ペピ2世(ネフェルカラー・ペピ, Pepi II Neferkare, 紀元前2278年 - 紀元前2184年〔Clayton, Peter A. Chronicle of the Pharaohs: The Reign-by-Reign Record of the Rulers and Dynasties of Ancient Egypt. p.64. Thames & Hudson. 2006. ISBN 0-500-28628-0〕)は古代エジプト第6王朝ファラオペピ1世と、上エジプトの有力貴族クウイ家の娘の間に生まれた。
== 来歴 ==
ペピ2世は紀元前2383年頃、僅か6歳でファラオに即位した。ペピ2世は100歳まで生き、実に94年の在位期間を保ったとされている〔この治世年数はマネトの記録に基づき、比較的よく用いられるが、これは64年の間違いであるとする説もある。ちなみに、ペピ2世に次ぐ長期政権を保ったとされるラムセス2世の在位期間は66年もしくは67年であるが、ペピ2世の実際の在位期間が64年であった場合、在位期間はラムセス2世の方が長かったことになる。〕。彼は後世のエジプトでは長寿の代名詞として知られるようになった。王の幼少時、王に代わって実権を握ったのは王母アンクネスメリラー2世と宰相のジャウ(共にクウイ家の出身)であった。
ペピ2世の治世の間に州侯の勢力はますます拡大した。元々第5王朝以来、増大する官吏の人件費を確保するために、元来葬祭儀礼等に関わるピラミッド都市などの管理職や領地を、給与・恩賞として分与する政策を採っていた。この方法は少なくとも各官吏の職権と給与を確保する手段としては有効であり、第6王朝の長期安定と対外遠征の勝利はこうした措置によって得られた強力な官吏に支えられたものであった。そしてこうした役職や給与を下賜することによって王自体も官吏らに対する権威を保っていた。しかし、これは長期的には官吏の勢力を王の手の及ばない規模まで拡大させた。既に第6王朝の初期から州侯職を世襲する有力家系が発生しており、外戚のクウイ家もそうした家系の1つである。ペピ2世の治世後半にはこれら州侯に対する中央政府の統制は急激に緩んだ〔エジプト第6王朝の中央権力は継続的に弱体化したと見られがちであるが、中央政府の統制力が劇的に弱まるのはペピ2世の時代であり、少なくてもそれ以前においては王権はかなり強力な状態を維持していたとされている。〕。取り分け「上エジプト長官」(ヘリー・テプ・アー)が、上エジプトの地方神殿の管理権を手中に収めると上エジプトにおける第6王朝の影響力は大幅に減退した。〔こうしたピラミッド都市の問題については「ピラミッドと古王国の王権」『岩波講座 世界歴史2』に詳しい。〕。
ペピ2世が死去する頃には中央集権国家としてのエジプト第6王朝は既に有名無実のものになっていた。彼の死後相次いで王位についたメルエンラー2世(メルエンラー・アンティエムサフ2世)とネチェルカラーは共に極めて短期間のうちに王位を失っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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