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ペルシティツァ(ブルガリア語:)は、ブルガリア中部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プロヴディフ州に属する。ロドピ山脈のふもとに位置し、プロヴディフから22キロメートルの距離にある。 1876年、オスマン帝国支配に対する4月蜂起の中で戦場となったことで知られており、帝国の非正規兵(バシ・ボズク Bashi-bazouk)によって住民の過半が虐殺された。フランスのジャーナリストIvan de Woestyneは1876年に町を訪れたときのことをフィガロ紙に記しており、2千人の住民のうち生き残っているのは老人と子ども150人のみであると書かれている。 「ペルシティツァ」の名は、スラヴ神話の神ペルーンに由来するペリスティツァ(Peristitsa)から来ている。 ペルシティツァではマヴルッド(Mavrud)種のブドウが栽培されており、ブルガリア・ワインの生産地である。ペルシティツァの中心部から2キロメートル南には、5世紀から6世紀にかけてのキリスト教聖堂の遺跡・赤の聖堂(Red Church)があり、ペルシティツァの象徴となっている。 == 町村 == ペルシティツァ基礎自治体()に属する町村(集落)は、ペルシティツァのみである。 * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペルシティツァ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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