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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ペレツィーナ(またはペルツィーナ、Perzina、Gebr. Perzina)は、北ドイツ生まれのピアノブランドである。 現在はオランダと中国の資本による中国煙台の民営企業・煙台ペレツィーナ(Yantai Perzina Piano Manufacturing.Co.,Ltd.)で製造されている。 ==沿革== ザクセン系ピアノ職人を父に持つ、ジュリアス・ペレツィーナとアルバート・ペレツィーナの兄弟は、20代後半になると父の仕事を引き継ぎたいと望み、ベヒシュタインの創業者であるカール・ベヒシュタインの元で修行。その他にも数多くの有名ピアノメーカーで修行と経験をつみ、ピアノ職人の技術をマスターしたペレツィーナ兄弟は、1871年7月1日にドイツ北部のシュヴェリーンという町に念願の出店を果たす。 会社を設立した初年度は20台のピアノが製造された。 1884年にメクレンブルク大公がペレツィーナに賞を与えたことにより、その名はドイツや周辺のヨーロッパ諸国に広く知れ渡り、多くの皇族、宮廷、貴族からピアノを求められるようになる。オランダのウィルヘルミナ女王や、ヘンドリック・メクレンブルク・シュベリン(オランダ女王ユリアナ王妃の父)、オルデンブルク公爵等にピアノを納めた。 1900年頃から会社は急成長をし始め、1910年頃には年間製造台数が1000台まで増加(グランドピアノの製造は1905年から開始)。数年後、製造工場を拡大する為シュヴェリーンより約60キロ南下したレンゼンという町に移転。第一次世界大戦まで急激に成長する。このころがドイツ時代のペレツィーナの製造のピークであった〔Larry Ashley,"PIECE PIANO ATLAS 12th Edition"(2008)、P277のSerialNumberの推移参照〕。 しかし、2つの世界大戦が、ペレツィーナを含むドイツのピアノメーカーに、大きな打撃を与えた。多くのピアノメーカーが姿を消す中、ペレツィーナは旧東ドイツの国営企業として生き延びた。 ベルリンの壁崩壊の後、ペレツィーナは1993年頃にオランダ・ヴィーネンダールに本拠を置く楽器商、ミュージック・ブローカーズ・インターナショナルB.V.(Music Brokers International B.V.)によって買収された〔Larry Ashley,"PIECE PIANO ATLAS 12th Edition"(2008)、P277参照〕。ペレツィーナは、この時点では小さなピアノ工場で、忘れられた存在だった。オランダ人社長のRonald G.Bolは、数年の格闘のあとドイツでの生産継続を断念し〔UKの雑誌"Pianist"(Issue39, 2007December-2008January, P70-71)におけるBol氏のインタビュー記事を参照〕、1998年に中国の煙台(エンタイ)に生産拠点を移した。ペレツィーナブランドのピアノは、Yantai Longfeng Piano Co.での生産を経て、現在は煙台ペレツィーナの年間15000台の生産能力(アップライト)をもつ近代的な設備のもとで製造されている。煙台ペレツィーナは、2003年にBol氏と中国人実業家Sun Qiangとの共同で設立された。Bol氏がこの民営企業の副社長で、海外への供給責任者である。主任技師はドイツ人のHas Leferinkである。彼によって設計や品質管理〔USAのピアノ情報サイト"PianoWorld"で紹介されたUSAの総代理店・Piano EmpireのChris Vance氏のコメント(#185469)によれば、Leferink氏は2007年には年間の約半分を煙台で指導にあたった〕〔煙台ペレツィーナの中文版サイトの歴史の「徳国工程師指導」というページに、Leferink氏が中国人スタッフを指導する様子が紹介されている。(2012年3月3日閲覧)〕がされている。ドイツ・レンゼンのピアノ工場は1996年12月に閉鎖〔ドイツ語のWikipediaページ(30. Dezember 2011 um 22:35)参照〕され、現在の欧州本部はオランダ・ヴィーネンダールにある〔USAのピアノ情報サイト"PianoWorld"で紹介されたPiano EmpireのChris Vance氏のコメント(#185469)による〕。 煙台ペツィーナで製造されている"Gebr. Perzina"ロゴのピアノのみが、ドイツ生まれの歴史ある"Perzina"ブランドを継承している。それ以外では製造されていない。 60%以上を日本や欧米をはじめとする海外50か国以上に、残りは中国内100以上の都市に供給している〔煙台ペレツィーナの中文版サイトの「公司紹介」のページ参照(2012年3月3日閲覧)〕としている。 日本では、1972年設立のピアノ量販店「ピアノ百貨」の7店舗〔2012年3月3日閲覧〕で販売されている。 Music Brokers Internationalは他にも欧州生まれのピアノブランドの製造権を所有しており、煙台ペツィーナで、これらの他ブランドのピアノも製造している。"Gerh. Steinberg"(ドイツで1908年創業), "Carl Ebel"(ドイツで1877年創業), "Eavestaff"(イギリスで1823年創業), "Rippen"(オランダで1937年創業)〔Larry Ashley,"PIECE PIANO ATLAS 12th Edition"(2008), P343,P115,P300参照〕などのブランドがそれである。 2002年に公開されカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した映画「戦場のピアニスト」の廃墟の中の演奏シーンで、ドイツ時代のペレツィーナのグランドピアノ〔第一次世界大戦前の1912年ごろ製造のもの。Perzina Baby Grand Piano の写真は、1914年ごろのもので、この時代のロゴマークの文字は単純に"Perzina"である。〕が使用された。また、ペレツィーナ(Gebr.Perzina)のアップライトピアノは、アメリカのLarry Fine著「THE PIANO BOOK (2007-2008)」のピアノランクにおいて、中国製ピアノとして初めてグループ3のAランクに入った〔当時はYAMAHAのアップライトも3Aであった。PIANO BUYER (Fall 2011)P45のRatingでは、YAMAHAは格上のProfessional Gradeに分類され、Perzinaは同じ中国製のHailunなどと一緒にConsumer GradeのUpper Levelに分類されている〕。当時同ランクメーカーの中では、低価格〔欧米では、現在でも同クラスのYAMAHAピアノの約半額で販売されている。"PIANO BUYER(Fall 2011)"P226,P249参照〕であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペレツィーナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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