翻訳と辞書
Words near each other
・ ペロロサウルス
・ ペロロプリテス
・ ペロン
・ ペロン-フロベニウスの定理
・ ペロンヌ (ソンム県)
・ ペロン・トンボン
・ ペロン・フロベニウスの定理
・ ペロン党
・ ペロン積分
・ ペロン=フロベニウスの定理
ペロ・アグアヨ
・ ペロ・アグアヨ・ジュニア
・ ペロ・アンティッチ
・ ペロ・シマロン
・ ペロ・デ・パストル・マヨルカン
・ ペロ・デ・パストール・カタラン・デ・ペロ・ラルゴ
・ ペロ・デ・パストール・カタラン=デ・ペロ・ラルゴ
・ ペロ・デ・プレサ・カナリオ
・ ペロ・デ・プレサ・マヨルキン
・ ペロ・ブラシュコヴィッチ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ペロ・アグアヨ : ミニ英和和英辞書
ペロ・アグアヨ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ペロ・アグアヨ : ウィキペディア日本語版
ペロ・アグアヨ

ペロ・アグアヨPerro Aguayo、本名:Pedro Aguayo Damian1946年1月18日 - )は、メキシコの元プロレスラーサカテカス州アカプルコ出身。
リングネームの "Perro" とは「犬」を意味し、日本では『山犬』の異名で呼ばれた。ルチャリブレでは異色のラフファイターであり、主にルードとして活躍した。
実子のペロ・アグアヨ・ジュニア(エル・イホ・デ・ペロ・アグアヨ)もプロレスラー。来日するまではペーロ・アグアイヨの表記で紹介されていた。
== 来歴 ==
少年時代から喧嘩に明け暮れ、レスリングではメキシコで4度のチャンピオンになっている。ディアブロ・ベラスコのジムで修行を積み、1970年5月にプロレスラーとしてデビュー。1975年7月、トーナメントの決勝でリンゴ・メンドーサを破りNWA世界ミドル級王座を獲得。1978年LLIに移籍、1979年2月に新日本プロレスへ初来日。同年4月にメキシコシティにてUWA世界ジュニア・ライトヘビー級王座、1980年5月にナウカルパンにてUWA世界ライトヘビー級王座を、それぞれグラン浜田から奪取している。
日本では新日本プロレスの常連外国人選手として活躍し、1981年3月にはWWFライトヘビー級王座決定リーグ戦の決勝でグラン浜田を破り、同王座の初代チャンピオンとなった。1982年11月の第3回MSGタッグリーグ戦にはカネックとのメキシコ代表コンビで出場、アンドレ・ザ・ジャイアントディック・マードックマスクド・スーパースターキラー・カーンなど、遥かに体格差のあるスーパーヘビー級の大型選手とタッグマッチで対戦した。
カルロス・コロンが主宰するプエルトリコWWCにも遠征しており、1983年1月にジェリー・ブリスコからWWC世界ジュニアヘビー級王座を奪取。その後、日本へは1984年4月にUWFの旗揚げシリーズに参戦、1985年1月には全日本プロレスに来日している。本国メキシコでは1988年3月4日にカネックを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得、UWA3階級制覇を果たした。1991年EMLLに移籍。1992年5月15日にはAAAの旗揚げに参加した。
2000年3月から引退ツアーを行い、新日本にもアグアヨ・ジュニアと共に来日。翌2001年に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ペロ・アグアヨ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.