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ペロ・アグアヨ(Perro Aguayo、本名:Pedro Aguayo Damian、1946年1月18日 - )は、メキシコの元プロレスラー。サカテカス州アカプルコ出身。 リングネームの "Perro" とは「犬」を意味し、日本では『山犬』の異名で呼ばれた。ルチャリブレでは異色のラフファイターであり、主にルードとして活躍した。 実子のペロ・アグアヨ・ジュニア(エル・イホ・デ・ペロ・アグアヨ)もプロレスラー。来日するまではペーロ・アグアイヨの表記で紹介されていた。 == 来歴 == 少年時代から喧嘩に明け暮れ、レスリングではメキシコで4度のチャンピオンになっている。ディアブロ・ベラスコのジムで修行を積み、1970年5月にプロレスラーとしてデビュー。1975年7月、トーナメントの決勝でリンゴ・メンドーサを破りNWA世界ミドル級王座を獲得。1978年にLLIに移籍、1979年2月に新日本プロレスへ初来日。同年4月にメキシコシティにてUWA世界ジュニア・ライトヘビー級王座、1980年5月にナウカルパンにてUWA世界ライトヘビー級王座を、それぞれグラン浜田から奪取している。 日本では新日本プロレスの常連外国人選手として活躍し、1981年3月にはWWFライトヘビー級王座決定リーグ戦の決勝でグラン浜田を破り、同王座の初代チャンピオンとなった。1982年11月の第3回MSGタッグリーグ戦にはカネックとのメキシコ代表コンビで出場、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック、マスクド・スーパースター、キラー・カーンなど、遥かに体格差のあるスーパーヘビー級の大型選手とタッグマッチで対戦した。 カルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCにも遠征しており、1983年1月にジェリー・ブリスコからWWC世界ジュニアヘビー級王座を奪取。その後、日本へは1984年4月にUWFの旗揚げシリーズに参戦、1985年1月には全日本プロレスに来日している。本国メキシコでは1988年3月4日にカネックを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得、UWA3階級制覇を果たした。1991年、EMLLに移籍。1992年5月15日にはAAAの旗揚げに参加した。 2000年3月から引退ツアーを行い、新日本にもアグアヨ・ジュニアと共に来日。翌2001年に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ペロ・アグアヨ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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