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ペーテル・オルセオロ : ミニ英和和英辞書
ペーテル・オルセオロ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ペーテル・オルセオロ ( リダイレクト:オルセオロ・ペーテル ) : ウィキペディア日本語版
オルセオロ・ペーテル[ちょうおん]

オルセオロ・ペーテルハンガリー語:Orseolo Péter)またはペーテル1世(I. Péter, 1011年 - 1046年)は、ハンガリー王。イタリア語名ピエトロ・オルセオロ(Pietro Orseolo)。伯父イシュトヴァーン1世の政策を引き継ぎ、異教徒の多いハンガリーでキリスト教化を推し進めたが、専制政治が反発を受けて退位を余儀なくされた。神聖ローマ皇帝の支援を受けて復位に成功するが、異教徒のハンガリー貴族が反乱を起こし、再び王座を追われた。
==生涯==
ヴェネツィア共和国の元首(ドージェオットーネ・オルセオロと、ハンガリー王女(イシュトヴァーン1世の妹、氏名不詳)との間にヴェネツィアで生まれた。
1026年、反乱で父がドージェの座を追われ、ペーテルはコンスタンティノープルへ逃亡した。しかしペーテルは父のように東ローマ帝国宮廷にとどまらず、母に連れられハンガリーへ向かい、伯父イシュトヴァーンに歓待された。
1031年9月2日、イシュトヴァーンの一人息子イムレが狩猟の最中にイノシシに殺された。いまだキリスト教化が半ばであるハンガリーを治めるため、イシュトヴァーンは甥ペーテルを後継者に望んだ。しかし、異教への追従を疑われていた王の年長の従兄ヴァズル(Vazul)は、王の暗殺の陰謀に加担した。暗殺の試みは失敗し、ヴァズルは罰として両目をくりぬかれ、熱で溶かした鉛を両耳に注がれた。ヴァズルの息子ルヴェンテ、アンドラーシュベーラは国外へ亡命した。この悲劇的な事件のためにイシュトヴァーンはペーテルの継承権を確固たるものにしようとしたが、ペーテルは即位後イシュトヴァーンの王妃ギーゼラの所領に手をつけないことを厳粛に誓わされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オルセオロ・ペーテル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Peter, King of Hungary 」があります。




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