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ホイジンガ ( リダイレクト:ヨハン・ホイジンガ ) : ウィキペディア日本語版 | ヨハン・ホイジンガ
ヨハン・ホイジンガ、またはホイジンハ(、1872年12月7日 - 1945年2月1日)はオランダの歴史家。サンスクリット文献研究から歴史研究に転じた。『中世の秋』『ホモ・ルーデンス』などの著作で知られる。 == 生涯 == フローニンゲンに生まれる。フローニンゲン大学で文学を学び、卒業後ハールレムで中等教育の教鞭(きょうべん)をとったが歴史学への転身を図り、論文「ハールレム市の成立」を作成し、1905年フローニンゲン大学外国史・国史学教授に就任。1915年ライデン大学外国史・歴史地理学教授に転任してライデンに住んだ。1940年ナチス・ドイツ軍のオランダ占領によって事実上閉鎖されるまで、同大学教授職にあった。1942年占領軍によって居住地域を限定され、アルンヘム近郊デ・ステークに住み、1945年2月同所で死去〔コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > ホイジンガとは 「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」〕。 主著『中世の秋』は、1919年に出版された。ブルクハルトの『イタリアにおけるルネサンスの文化』が15、6世紀のイタリアに観察の視線を限定しているのに対し、ホイジンガは、14、5世紀のフランスとネーデルラントに実証的調査と史的想像力の翼を広げる。同時代人の記録に固着し、瀰漫(びまん)しているものの考え方、感じ方のある一定の調子からみるに、この歴史空間は一つの文化の終末の気配を濃密に漂わせている。すなわち「中世の秋」である。『中世の秋』出版後、ルネサンス問題に関する論考、エラスムスやグロティウス、あるいはアベラールをはじめ、12世紀の精神を訪ねる著書・論文など業績は幅広いが、『朝の影のなかに』の出版(1935)の前後からナチズムに対する批判、ひいては現代文明批評の方向へ彼の関心は収斂(しゅうれん)する。『ホモ・ルーデンス』(1938)は「遊戯の相の下に」ヨーロッパ文明の成立と展開と衰亡の過程をみる試みで、デ・ステークの配所で綴(つづ)った『わが歴史への道』(1947)は現代へ残した自伝的遺書である〔。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Johan Huizinga 」があります。
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