翻訳と辞書
Words near each other
・ ホウ素の同位体
・ ホウ素の同素体
・ ホウ素中性子捕捉療法
・ ホウ素族
・ ホウ素族元素
・ ホウ素欠乏症
・ ホウ統
・ ホウ義
・ ホウ羲
・ ホウ育
ホウ萌
・ ホウ酸
・ ホウ酸だんご
・ ホウ酸イオン
・ ホウ酸エステル
・ ホウ酸トリエチル
・ ホウ酸トリメチル
・ ホウ酸バリウム
・ ホウ酸団子
・ ホウ酸塩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ホウ萌 : ウィキペディア日本語版
ホウ萌[ほう ぼう]

龐 萌(ほう ぼう、? - 30年)は、中国代から後漢時代初期の武将。兗州山陽郡の人。
== 事跡 ==

=== 光武帝の寵臣 ===

当初は、緑林軍系の下江軍に属していた。更始1年(23年)、劉玄が更始帝として即位すると、龐萌は冀州牧に任命され、尚書令謝躬に帰属し、破虜将軍劉秀と共に河北の王郎を討伐している。翌更始2年(24年)に謝躬が劉秀に誅殺されると、龐萌は劉秀に降伏してその配下となった。
建武1年(25年)6月、劉秀が光武帝として即位すると、龐萌は侍中に任命された。龐萌は、謙遜温順な人柄により光武帝から信任と寵愛を受け、「若い孤児を託せ(=後見を任せ)、百里四方の国の命(=政令つまり政事)を任せられるは、龐萌この人なり」〔『論語』泰伯第八の6 曾子曰「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也」の引用。つまり龐萌は君子人と誉めている。〕とまで言わしめている。その後、龐萌は平狄将軍に任命された。
建武4年(28年)7月、梁王劉紆の陣営に属する董憲の配下賁休が、蘭陵(東海郡)を献上して漢に帰順する。まもなく、董憲が蘭陵の奪回に動いたため、光武帝は龐萌と蓋延に命じて賁休を救援させた。しかし、董憲の前に龐萌と蓋延は敗退し、結局、蘭陵も奪い返されてしまう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホウ萌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.