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ホスローのイーワーン : ミニ英和和英辞書
ホスローのイーワーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ホスローのイーワーン : ウィキペディア日本語版
ホスローのイーワーン[ちょうおん]

ホスローのイーワーン( ايوان كسرى Aywān(-i) Kisrā)とはイラクバグダード南東の :en:Salman Pakの町にある、古代都市クテシフォンにある宮殿跡の一部。サーサーン朝ホスロー1世が550年頃に建設したとされる。
アーチの高さは37m,幅26m,奥行き50m、古代ローマ水道橋の技術が応用されている。宮殿の材質は古代ローマのコロッセオと同様に、内側は焼き煉瓦で作られ、外側は石材で補強されていたと考えられる。
しかし、638年にでサーサーン朝軍はイスラム帝国のアラブ軍に決定的な敗北を喫し、ヤズデギルド3世はアラブ軍がクテシフォンに到着する前に逃亡した。ホスローのイーワーンもチグリス川東岸の諸宮殿のひとつだったと考えられるが、タバリーバラーズリーなど9世紀のアラビア語年代記によると、当時「東城」と呼ばれたこの地区にアラブ軍がやってくると、人馬一体となってチグリスの水流に乗り入り、浅瀬から押し渡って来り、サーサーン朝の守備部隊は矢戦で応戦したものの、不利を悟り和平条約を結んで降伏したと言う。クテシフォンはその後バグダードが建設されるまでイラクの主要都市として存続したようだが、ホスローの宮殿はクテシフォンでの戦いの前に放棄されたようである。現在はアーチを挟んで建物の右翼側しか胸壁が残っていないが、かつては両翼が存在していた。20世紀初めにチグリス川の増水で左翼部分が押流され、現在は右翼片側のみ壁面が残っている。
1980年代のサッダーム・フセイン政権下から大規模な改修が行われている。

Image:tagkasra.jpg|建物左翼流失以前のCaptain Hartによる描画(1824年)
File:Ctesiphon, Iraq, 1932.jpg|1932年に撮影された写真
File:Ctesiphon 3.jpg|1990年頃の写真
File:ArchOfCtesiphon.jpg|2008年の写真
File:Bradley Fighting Vehicle provides security for clearing operation in Iraq.jpg|イラク戦争時の写真(2008年)

== 関連項目 ==

*クテシフォン
*イーワーン
*カーディーシーヤ県



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホスローのイーワーン」の詳細全文を読む




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