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聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲル(Josemaría Escrivá de Balaguer、1902年1月9日 - 1975年6月26日)はローマ・カトリック教会の聖人。オプス・デイの創立者。2002年、教皇聖ヨハネ・パウロ二世によって列聖された。 ==来歴== *1902年(明治35年)1月9日 - スペインのバルバストロで誕生。 *父はホセ、母はドローレス。6人兄弟の2番目で、敬虔なカトリックの家庭で育つ。 *1915年(大正4年)- 父親の織物事業が破産したため、ログローニョへ引っ越す。(13歳) *ログローニョ、サラゴサの神学校に通い、神学を学び、同時に父の勧めで法学の勉強を開始。 *1924年(大正13年)- 父・ホセが死去。(22歳) *1925年(大正14年)3月28日 - 司祭に叙階。農村の小教区の後にサラゴサで司祭を務める。(23歳) *1927年(昭和2年) - 法学博士取得のため、司教の許可を得てマドリードに移る。(25歳) *1928年(昭和3年)10月2日 - オプス・デイを創立。(26歳) *1936年(昭和11年) - スペイン内戦の勃発で反宗教の迫害があった中でも、マドリードを離れるまでの間、非合法を承知で隠れて司牧活動を継続。(34歳) *ピレネー山脈を越えてフランス南部に入った後、スペインのブルゴスに移る。 *1939年(昭和14年)- スペイン内乱が終わり、マドリードに戻る。数年後、法学博士号を取得。(38歳) *1946年(昭和21年)- ローマに移り、ラテラノ大学で神学博士号を取得。(45歳) *バチカンの二つの省の顧問、教皇庁神学院会員を歴任。教皇付き名誉高位聖職者(モンシニョール)の称号を授与される。 *1970年(昭和45年)~ 1975年(昭和50年)- メキシコ、イベリア半島、南米、グアテマラを訪問。 *1975年(昭和50年)6月26日 - ローマの本部で心不全で死去。(73歳) *1992年(平成4年)5月17日 - ヨハネ・パウロ2世により列福され、「福者ホセマリア・エスクリバー」となる。 *2002年(平成14年)10月6日 - ローマの聖ペトロ広場において、ヨハネ・パウロ2世により列聖され、「聖ホセマリア・エスクリバー」となる。 *2005年(平成17年)8月30日 - 聖ホセマリアのご像が聖ペトロ大聖堂の外壁に安置された(ロマーノ・コッシ製作、高さ5メートル)。教皇聖ヨハネ・パウロ二世が、大聖堂の外壁に現代の聖人のご像を置くように決められ、聖ホセマリアのご像の隣にアンデスの聖テレサ、カンパニャの聖マルセリーノ、アルメニアの聖グレゴリオなどのご像が並ぶ。祝別式は教皇ベネディクト16世によって行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホセマリア・エスクリバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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