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ホセ・リーホ(José Antonio Rijo Abreu , 1965年5月13日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。右投右打。 ドミニカ共和国出身。 == 人物・来歴 == ニューヨーク・ヤンキースに入団し、にマイナーで好投すると、翌には18歳でメジャー昇格。4月5日に初登板。この早すぎる昇格は、オーナージョージ・スタインブレナーがニューヨークのライバル・メッツの19歳のルーキードワイト・グッデンに対抗させたもので、この年2勝8敗2セーブに終わると、オフにはリッキー・ヘンダーソンとの交換トレード要員の一人として、オークランド・アスレチックスに放出した。 アスレチックスには3シーズン在籍し、4月16日のシアトル・マリナーズ戦では16奪三振の球団記録をマークしたが、3シーズンで17勝に終わる。 オフにデーブ・パーカーとの交換でシンシナティ・レッズに移籍。 には13勝8敗防御率2.39をマーク。以後は(の復帰後を除いて)先発投手として活躍し、には14勝をあげてチームの地区優勝に貢献。 ノーム・チャールトン、ロブ・ディブル、ランディ・マイヤーズの3人の速球派救援投手「Nasty Boys」の活躍もあって、チームはワールドシリーズに進出。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは、本拠地リバーフロント・スタジアムでの第1戦に先発し、無失点。チームは7-0の完封勝利を収める。チームは第2戦、第3戦も連勝し、第4戦に再び先発すると、アスレチックス打線を1安打、初回の1点に抑え、チームが8回表に2点を取って逆転し、あとはNasty Boysが抑えてアスレチックスをスウィープ。シリーズ2勝、防御率0.59(15回1/3を投げて自責点1)の活躍で、シリーズMVPに選出された。 とは2年連続で15勝をあげる。は14勝。 この年創設された新球団コロラド・ロッキーズ戦で1安打完封をマークするなど、リーグ最多の227奪三振を記録。 は初めてオールスターに出場。 1994年から1995年のMLBストライキで短縮されたこのシーズンは9勝に終わる。1か月遅れで再開されたのシーズンは、肘の故障に悩まされ、14先発で5勝4敗に終わり、30歳で現役を引退した。 に、5年のブランクを経てレッズで現役復帰。この年はリリーフばかり13試合に登板して勝ち負け関係なし。翌には9先発を含む31試合に登板。5勝3敗の成績を残すが、この年限りで改めて現役引退した。 その後、ワシントン・ナショナルズの特別GM補佐を務めていたが、自らがスカウトした中南米の若手選手の年齢詐称に関わったとして、辞任した。 現役時代に、アメリカ野球殿堂入りを果たした祖国の英雄フアン・マリシャル(元ジャイアンツ)の娘と結婚したが、のちに離婚している。 2001年に一度殿堂入り資格を得たが、初年度の得票がわずか1票に終わって資格を喪失。その後現役復帰したことでに再び有資格者となったが、2008年の投票で0票に終わり、2度目の殿堂入り資格喪失となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホセ・リーホ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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