|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ホッコーパドゥシャは日本の元競走馬。馬名は冠名「ホッコー」にバレエ用語で「猫の足のような動き」を意味する「パドゥシャ(pas de chat=直訳すると「猫の足あと」)」を組み合わせたもの。 == 経歴 == 2歳時の2004年10月にデビューするも、なかなか勝ちあがれずに翌2005年7月に初勝利。以降は地道に条件戦で好走を続け、もうすぐ7歳になろうかという2008年12月に準オープンを勝ってようやくオープン入りを果たす。 翌2009年3月、浜田調教師の定年・厩舎解散により、村山厩舎に移籍。 同年4月の福島民報杯にレコード勝ちすると、この年のサマー2000シリーズでは七夕賞で3着、小倉記念で2着と好走し、同シリーズ最終戦の新潟記念で重賞初勝利し、同時にシリーズチャンピオンとなった。なお新潟記念では当初騎乗予定だった石橋脩が直前に落馬負傷したため、村山調教師の競馬学校騎手課程での同期になる江田照男に乗り替わっての勝利だった。11月の天皇賞(秋)では好位追走も失速し16着と大敗した。 2010年の初戦は中山金杯から始動、好位でレースを進めたが、3コーナー過ぎから後退してしまい12着と惨敗した。続く小倉大賞典でも9着に敗れた。続く中京記念では15番人気という低評価だったが中団から追い上げて3着と好走、波乱を演出した。続く大阪杯ではテイエムアンコールの6着に終わった。3ヶ月間隔を挟んで7月の七夕賞では中団追走も直線で伸び切れず9着に敗れた。 2011年5月21日付で競走馬登録を抹消され、滋賀県東近江市のアカデミー牧場で乗馬となる。2012年10月現在、広島県三原市大和町にある苅谷乗馬クラブに乗馬として在籍中。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホッコーパドゥシャ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|