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ホッジャ主義(英:Hoxhaism)とは、1970年代後半の毛沢東思想運動の分裂により生まれ、1978年の中国共産党とアルバニア労働党のイデオロギー論争後にエンヴェル・ホッジャが唱えた、反修正主義、マルクス・レーニン主義の変種のひとつである。 ==概要== ホッジャ主義は、マルクス・レーニン主義の国際的な傾向からは区別され、時にチトー主義と比較される。後述のように、ホッジャ主義とチトー主義は対立関係にあった。 ホッジャ主義は、ヨシフ・スターリンと、スターリン政権下のソビエト連邦の遺産を厳格に守り、他の全ての共産主義グループを「修正主義」と激しく批判することで自らの正しさを示そうとするものであった。 エンヴェル・ホッジャは、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、中華人民共和国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に対して批判的であり、ソ連、中国、ユーゴスラビアに対しては「社会帝国主義者」というレッテルを貼った。1968年のソ連によるチェコスロヴァキア侵攻を非難したのち、アルバニアはワルシャワ条約機構を脱退した。 ホッジャ主義は、チトー主義のように、それぞれの国が異なる方法で社会主義を追求する権利を尊重するものであったが、ホッジャは個人的に、チトー主義を反マルクス主義であると考えていた。 ホッジャは、1978年に、アルバニアはマルクス・レーニン主義のみを合法とし遵守すると宣言した。 アルバニア労働党とその支持者たちは、主にラテンアメリカ(コロンビアのEPL、エクアドルのマルクス・レーニン主義共産党、ブラジル共産党など)において、大きな位置を占めていた毛沢東主義者に対して、イデオロギー的に勝利することに成功した。また、彼らはかなり大きな国際的支持を受けた。ホッジャとアルバニア労働党のように、「反修正主義」を掲げ、旧来のマルクス・レーニン主義解釈を維持する者が各国の共産党に現れ、そうした一派は「アルバニア派」と呼ばれた。 1991年、アルバニアの労働党政権が崩壊すると、旧アルバニア労働党員たちは、マルクス・レーニン主義党・組織国際協議会(ICMLPO/統一と闘争)を中心に活動するようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホッジャ主義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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