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ホヤ・デ・セレン
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ホヤ・デ・セレン
ホヤ・デ・セレン () は、エルサルバドルので1976年に発見された考古遺跡である。火山灰層に埋もれる形で先コロンブス期のマヤ農耕民の集落がほぼそのまま保存されていたことから、「メソアメリカのポンペイ」〔ユネスコ世界遺産センター (1997) pp.60, 63〕〔長谷川 (1999) p.100〕とも呼ばれる遺跡で、1993年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。エルサルバドル初の世界遺産であり、2013年の第37回世界遺産委員会終了時点で同国唯一の世界遺産でもある。 遺跡名のホヤ・デ・セレンはスペイン語で「セレンの宝石」〔セレンは地域の名前だが、語源未詳という(ユネスコ世界遺産センター (1997) p.64)。〕を意味し、その遺跡の価値の高さから命名された〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.60〕。 == 遺跡の形成 == セレンはマヤ文化圏の南東端に当たっていた。この地域では、紀元前1200年頃に農業を営む小さな集落が成立していたが、西暦200年頃にイロパンゴ山がたびたび噴火し、現在のエルサルバドル中西部にあたる一帯を溶岩と火山灰とで荒廃させたため、誰も住まない土地となった〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.64〕。400年頃に再び人々が住むようになり、6世紀になるとセレンの村落が築かれたと考えられている〔。 しかし、590年頃〔Conyers, p. 377.〕〔Lentz et al.〕に、 別の近隣の火山であるが噴火し、村落は14層の火山灰に埋もれてしまった。村民たちは避難することができたので巻き込まれた遺骸などは見つかっていないが〔、慌しい避難だったらしく、日用道具類、陶磁器類、家具、果ては食べかけの食事などまでが後に残された。比較的低い温度の火山灰が、わずか数時間のうちに4mから8mの厚い層をなして村落をすっぽりと包み込んだおかげで、遺跡の保存状態はかなり良好なものとなったのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホヤ・デ・セレン」の詳細全文を読む
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