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ホルチン(モンゴル語:Хорчин、 中国語:科爾沁、ラテン文字表記:Khorchin)は、15世紀前期に形成されたモンゴルの一部族。その遠祖はチンギス・カンの弟のジョチ・カサル。 == 概要 == チンギス・カンは生前、自分の諸子と諸弟などの親族に、それぞれ遊牧地を割り当て、次弟のジョチ・カサルにはモンゴル高原の東北、アルグン川からホロン・ノールおよび、ハイラル川にいたる地方が与えられた〔宮脇 2002,p88-89〕。ジョチ・カサルの子孫は王(オン)と呼ばれ、その直系は代々ホルチン部の領主となった〔宮脇 2002,p146〕。ダヤン・ハーンの時代には「王の者たち」という意味で、オンリウト(オンニュート)と呼ばれる集団に属した〔宮脇 2002,p151〕。 1624年、ホルチン部の王族は後金(後の清朝)のヌルハチと姻戚関係となり、同盟を結ぶ〔宮脇 2002,p175-177〕。清朝第2代皇帝ホンタイジの5人の皇后のうち、3人はホルチン部出身であり、第3代皇帝順治帝はその子であるため、第4代の康熙帝共々モンゴル語に堪能であった〔宮脇 2002,p180-181〕。 清代には内蒙古六盟のジェリム(哲里木)盟四部十旗に属し、そのうちの六旗がホルチン(科爾沁)部であった。また、ジョーウダ(昭烏達)盟八部十一旗にはアルホルチン(阿魯科爾沁)部一旗がある。〔宮脇 2002,p224-225〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホルチン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Khorchin Mongols 」があります。 スポンサード リンク
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