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ホルヘ・ラファエル・ポサダ(Jorge Rafael Posada , 1971年8月17日 - )は、プエルトリコ・サンフアン出身の元プロ野球選手(捕手)。右投両打。 デレク・ジーター、アンディ・ペティット、マリアノ・リベラと並び、ニューヨーク・ヤンキース生え抜きの"Core Four"の1人であり、長年に渡りチームを支えたフランチャイズ・プレイヤー。現役生活17年でオールスター出場5回を誇る。2015年には背番号20がヤンキースの永久欠番に指定された。 == 経歴 == 、プエルトリコのサンフアンサントゥルセ地区で生まれる。父親はロッキーズの中南米担当スカウト、叔父はドジャース傘下のマイナーリーグで打撃コーチを務めるなど野球一家で育つ。後に地元大学に進学し、当時はバスケットボール、バレーボールや陸上競技の短距離走など野球以外の競技にも打ち込んだ。 、ドラフト24巡目でヤンキースから指名され入団。マイナー時代は二塁、三塁、外野とさまざまなポジションをこなし、1995年のメジャーデビューと同時に捕手に定着した。デビュー2年目まではほとんど出場機会がなかったが、3年目の1997年には60試合に出場し、打率.250・6本塁打・25打点と徐々に頭角を表す。 はシーズンを通して出場し、打率.268・17本塁打・63打点を記録。チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。翌1999年は17個の捕逸を記録しレギュラー定着に課題を残したが、チームは2年連続のワールドシリーズ制覇を果たした。 、第二捕手であったジョー・ジラルディがシカゴ・カブスに移籍すると、正捕手の座を不動のものとする。打撃力も向上し、チームの主軸打者としても活躍、打率.287・28本塁打・87打点を記録した。ニューヨーク・メッツとのサブウェイ・シリーズとなった同年のワールドシリーズでは好リードを披露。チームを優勝に導いた。 には自己最多となる30本塁打・101打点を記録し、MVPの投票ではアレックス・ロドリゲス、カルロス・デルガドに次ぐ3位。 は5月12日のエンゼルス戦で送球が顔面に直撃し、鼻骨が骨折。4試合を欠場した後、出場を続けたが、このけがを境に好調な打撃が不調に。7月11日のデビルレイズ戦で足首をねんざし、医師から出場できる状態ではないと言われたが、翌戦を先発出場〔。最終的には、打率.272・21本塁打・81打点と前年より成績が低下し、シルバースラッガー賞とオールスターの連続受賞・選出が4年で途切れた。 はアメリカンリーグ4位の打率.338という高打率を記録し、4年ぶりにシルバースラッガー賞も受賞したが、チームは3年連続で地区シリーズ敗退となった。シーズン終了後の11月29日にはヤンキースと4年総額5240万ドル(当時のレートで約58億円)で再契約した。 は4月28日に右肩痛でキャリア初の故障者リスト入り。6月に復帰したが、万全でない右肩の状態は送球や捕球に悪影響を及ぼし、ホセ・モリーナが代わりに先発マスクをかぶる機会が増えた〔。ポサダは指名打者や一塁手としての出場を模索したが、7月26日にゼイビア・ネイディがトレードで加入したことに伴い、「チームの助けになることを誇りを持ってきた。しかしゼイビアが加わったことで復帰への重圧は軽減された」と表明〔 杉浦大介 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 ニューヨーク・ヤンキース/NYY チーム想いのポサダが下した決断」『スラッガー』2008年10月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-10、75項。〕。7月20日に右肩関節唇損傷で再び故障者リスト入りした後、7月30日に手術を受け残りのシーズンは出場しなかった。 、9月1日のオリオールズ戦で、2回表にボールカウントを間違えて4ボールになったにも関わらず一塁に向かわなかったために審判に指摘されてフォアボールで出塁し、さらに同試合の5回表にはストライクカウントを間違え、2ストライクの時点でベンチに戻りかけるという珍プレーを見せた(しかし、戻ったその打席でホームランを放った)〔New York Yankees vs. Baltimore Orioles - Recap - September 1, 2009 ,SI.com〕。9月16日のブルージェイズ戦では相手投手のジェシー・カールソンと乱闘騒ぎを起こし、カールソンと共に3試合の出場停止処分を受けた〔Bryan Hoch,Posada, Carlson hit with suspensions ,MLB.com(英語),2009/09/17〕。そして2年ぶりとなるプレーオフ進出に貢献した。 6月にはヤンキースの選手としては1937年のビル・ディッキー以来となる二試合連続満塁本塁打を放つ。また、7月23日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で通算1000打点を記録した。 はポサダの守備率低下にともないオフにロサンゼルス・ドジャースからラッセル・マーティンが加入。ポサダは指名打者、一塁手として出場させる方針がとられ、捕手としての出場は1試合にとどまった〔ヤンキース一筋 ポサダ引退へ 昨季捕手での出場1試合のみ sponichi annex 2012年1月8日〕。8月25日のオークランド・アスレチックス戦では大差のついた9回にロビンソン・カノーに代わり二塁手として出場。最後の打者をアウトにする際、一塁への力強い送球がショートバウンドし、守っていたニック・スウィッシャーを苦笑させた。シーズン終了後、FAになった。 1月24日、現役引退会見を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホルヘ・ポサダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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