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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ F : [えふ] ファロー四徴(症)
ホンダ・FT(エフティー)は、かつて本田技研工業が製造販売していたオートバイである。 本項では輸出専用モデルであったVT500FT(ブイティー500エフティー)についても記述する。 ==概要== 1982年、アメリカの草レースとして人気があるフラットトラックレース(ダートトラックレース)に出場する車両をモチーフとして生産を開始する。FTの後に排気量を意味する数字が付き、FT500とFT400の2つの排気量が存在していた。FT・VTとも北米輸出仕様の車両には ASCOT(アスコット)のペットネームが与えられていた。 XL500Sのエンジンを原型としてセルフスターターを追加した空冷4ストローク単気筒4バルブのエンジンを搭載(FT500のエンジン形式PD01EはXL500Sと同じ)。日本国内では免許制度の関係から400ccが主であったが、輸出主体の500ccも併売された。日本向けは400ccが赤、500ccが黒でカラーリングされていたが、輸出用の500ccには両方のカラーリングが存在した。 当時の400/500cc単気筒エンジン車としてはヤマハ・SRとほぼ変わらない妥当な重量であったが、日本人がフラットトラッカーとして用いるには車重が重すぎ、お世辞にも取扱いやすいとはいえなかった。製造開始時期が、第一期アメリカンバイクブームの全盛期であったことから変わったアメリカンバイクと誤解されたり、当時の日本国内では、ダートトラックが未知のレースであり、フラットトラッカーというジャンルがオンロードなのかオフロードなのかはっきりしなかった〔ホンダのニュースリリースおよびカタログではロードスポーツに分類されていた〕ことから、発売当初から売れ行きは芳しくなかった。続いてレプリカバイクブームが来ると、完全にホンダのラインナップからは宙に浮いた存在になり、400ccはモデル末期にはバイク量販店の特価商品として捨て値で売られていた。一方で、楽な乗車ポジションやセル付ということもあって街乗りやツーリングでは一定の評価を得ており、輸出用車種が生産され続けたことから、1990年頃まで国内販売は続けられた。 バイクブームが一巡するとカスタムの素材として注目を浴びるが、元々個体数が少ないことから見つけることに苦労する状態であった。エンジンは他車種へ容易に搭載可能だったため、エンジンだけ取られてスクラップにされることも多く、個体減に拍車を掛けた。日本でほぼ原型を留めて実動しているFT500/400はごく少数であるが、一部愛好家が保存のための情報交換やミーティングなどを行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホンダ・FT」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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