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MVX250F (エムブイエックスにひゃくごじゅうエフ)は、かつて本田技研工業が製造・販売したオートバイである。 ==概要== 1983年、HY戦争と呼ばれる熾烈な販売競争が繰り広げていた状況下の250ccクラススポーツ車では、打倒ヤマハRZ250を目指したVT250Fが好評であったが、ホンダがさらなる攻勢に転じるため開発された2ストロークエンジン搭載モデルである〔思い出の国産車たち Part.2 Honda MVX250F、PP. 94-96〕。同年は東京モーターショー非開催でこういったケースで新型モデルは秋の海外モーターショーで発表されるのが通例であるが、本モデルはケルンモーターショーでもアナウンスはなく突然に発売された。当時4ストロークエンジンイメージの強かったホンダが製造した2ストロークV型3気筒エンジン〔2ストローク3気筒エンジンは、カワサキ・マッハ→KHシリーズやスズキGTシリーズなど直列3気筒では例がある。〕は公道走行可能モデルとしては世界初であり高い関心を集めた〔。 しかし発売当初に販売店がオイルポンプを絞ったなどオイル吐出量不足などを原因とした焼き付きを頻発。また比較的多めの排気煙やサイレンサーからのオイル吹きによる目詰まりから発生するV型3気筒構造による独特な排気音上昇などにより、ホンダの2ストロークエンジンは良くない〔原付クラス以外では特にスポーツモデルは4ストロークを主軸に据えていた。〕という悪いイメージを作ってしまった。 *エンジンそのものも第2シリンダー排気チャンバーの取り回しで近くに配置されていたバッテリーを溶解させ電装トラブルを起こし、焼き付きと誤解させる認識を助長する一因ともなった〔思い出の国産車たち Part.2 Honda MVX250F、PP. 98-99〕。 本モデル発売直後にRZ250Rが43psで、スズキからは市販車初のアルミフレームを採用し本格的レーサーレプリカの祖となったRG250Γが45psで発表。販売価格面でも上述2モデルと大差がなかったため早々に商品性で大きく見劣りするようになり売上が低迷した。 *上述2モデルに対し最高出力では劣るものの加速性能は同等で、乾燥重量の軽さ・VT250Fで好評だった16インチフロントホイール・プロリンクサス・インボードフロントブレーキなどで走行性能は高く評価された〔。 さらに1984年からワークスレーサーが本モデル同様なV型3気筒のNS500〔ただしNS500は112°バンクで前1:後2の配置。〕から4ストロークV型4気筒エンジンを搭載するNSR500へ変更されたこともあり〔、わずか1年で後継モデルのNS250Rへモデルチェンジされた〔発売2か月で生産終了を決定して在庫販売となったという説もあり、もともと生産台数が少なかった白/青カラーモデルは特に希少性が高い。しかし販売台数はおよそ19,000台とされ商業的には成功したと評価される。〕。 このため試作車の発表まで行われた本モデルの上位車種となるMVX400Fは販売中止となった 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホンダ・MVX250F」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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