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ホンダ RA302は、ホンダが1968年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。独創的な自然通気の空冷エンジン搭載車として開発された。 1968年第6戦フランスGPでデビュー。しかし、このレースでのクラッシュが死亡事故となり、以来決勝に出走することはなかった。悲劇のマシンとされ、ホンダ第1期F1活動の撤退を促したとも言われる。 == 概要 == ===開発=== 本田技研工業の創始者、本田宗一郎が、オートバイの製造とその後レースでの成功を経て、4輪においてもエンジンは自然通気の空冷が望ましい、との信念から、F1での実践を主眼として開発された。本田技術研究所内で久米是志によるエンジン設計、佐野彰一によるシャーシ制作が行なわれた純国産マシンである。 現在に至るまで、レーシングエンジンは水冷が主流であり、1960年代当時はポルシェのように強制空冷装置を持つマシンはあっても、自然通気を標榜したマシン開発は異例であった。ホンダでは1967年に空冷エンジンを搭載したN360を発売しベストセラーとなっていたため、その技術を応用することを狙っていた。だが、発熱量が桁違いのF1エンジンに軽自動車のエンジンの技術を応用することには元々無理があり、エンジン設計者の久米は設計をどう変えても冷却がままならないため、1ヶ月ほど出社を拒否したほどである〔『F1地上の夢』pp.241 - 244〕。結局自然通気だけでの冷却は無理だと判断した久米と佐野は、本田宗一郎には内緒で、レース出走のためにマシンを運んだ後現地でオイルクーラーを増設して対応することを決めた〔『F1地上の夢』pp.244 - 245〕。 RA302Eエンジンはホンダ製F1マシンの特徴だったV型12気筒から新設計のV型8気筒に変更され、30kgの軽量化に成功した。また、V8エンジンのバンク角は通常90度とされるが、120度にまで拡げることで低重心化を図った。シャーシに通常の方式で取り付けると通気が不十分なため、モノコック後部から「梁」を伸ばして、エンジンを吊り下げる構造とした〔このエンジン吊り下げ式はフェラーリが水平対向エンジンを搭載する312B(1970年)でも採用している。〕(梁の内部はクランクケースを冷却する通風路も兼ねている)。コクピット両脇にも冷却ダクトを設けるなど、様々な工夫でエンジンを冷やそうとした。 シャーシは軽量化を追求してボディ素材にマグネシウムを用い、扁平なノーズ形状が特徴的であった。フロントラジエーターを搭載しない分コックピットを前進させ、燃料タンクを座席後方に置くなど意欲的な試みがなされた。また、第4戦ベルギーGPからフェラーリとブラバムが投入したミッドウィングのアイデアを取り入れている。ウィングは左右分割式で、ステアリングのボタンを押すとそれぞれの角度を調節することができた。 F1参戦以来、ホンダの技術者は重量オーバーの課題に悩まされ続けており、自然空冷を含めて、開発テーマは車両の軽量化に向けられた。マシン重量については、当初の設計では「レギュレーションで定められた最低重量の500kgよりもずいぶん軽いのができた」ものの、本田宗一郎の指摘で各所の補強を行った結果ちょうど500kg程度に落ち着いた、と設計者の佐野が語っている〔『F1地上の夢』p.237〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホンダ・RA302」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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