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ホーホー卿 : ミニ英和和英辞書
ホーホー卿[けい, きょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [けい, きょう]
 【名詞】 1. lord 2. state minister 

ホーホー卿 ( リダイレクト:ウィリアム・ジョイス ) : ウィキペディア日本語版
ウィリアム・ジョイス[けい, きょう]

ウィリアム・ジョイス(William Joyce, 1906年4月24日 - 1946年1月3日)は、イギリスファシスト第二次世界大戦中、ナチス・ドイツからイギリスに向けてプロパガンダ放送を行い、ホーホー卿 (Lord Haw-Haw) という通称で広く知られた。この戦時中の行動のため、ジョイスはイギリス政府に大逆罪処刑された。
== 生い立ち ==
1906年アメリカニューヨークで、アイルランドカトリックの父とイングランドプロテスタントの母の間に生まれる。生後しばらくしてジョイスは、アイルランドのゴールウェイに父に連れられて移住し、1915年から1921年までイエズス会が運営するセント・イグナティウス・コレッジで学んだ。
当時のアイルランド系カトリックとしては珍しく、ジョイス父子はイギリスとの統合を支持するユニオニストであり、アイルランド独立戦争 (1919年 - 1921年) の際にはイギリス側の軍事警察の実戦部隊を支援していたことからアイルランド共和軍から狙われることになったと後年述べている〔Lord Haw-Haw and the Black and Tans , Axis History Forum.〕〔ちなみに普段とは異なる経路で学校から帰宅したため、暗殺を免れたとも言っている。〕。
独立戦争が終わるとジョイスはイングランドへ向かい、短期間ウィンブルドンキングズ・コレッジ・スクールに外国人留学生として在籍、その2年後には家族もイングランドへ渡った。当時、ジョイスは、リヴァプールマージー川対岸にあたるバークンヘッドにいた親戚を数回訪れている。ジョイスはロンドン大学バークベック校に進み、将校訓練課程にも参加した。バークベックでファシズムに関心を持ち、ロウサ・リントーン=オーマンイギリスファシスト党に入党こそしなかったものの行動を共にしたりもした。
1924年保守党の集会で下働きをしていた際に、ジョイスは暴漢に襲われた。右頬に剃刀による深い切り傷を受け、傷跡は口元から耳たぶまで彼の外見にはっきりと残った。この襲撃から、「ユダヤの共産主義者たち」によってこの事件が起こされたと確信するに至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィリアム・ジョイス」の詳細全文を読む




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