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ボイイ人 : ミニ英和和英辞書
ボイイ人[ひと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

ボイイ人 ( リダイレクト:ボイイ族 ) : ウィキペディア日本語版
ボイイ族[ぼいいぞく]

ボイイ族((単数形 Boius)、)は、中央ヨーロッパにいた鉄器時代のある部族に対して古代ローマ人がつけた名称である。特にバイエルンボヘミアはボイイ族の名と関係が深いとされている。共和政ローマ後期からローマ帝国にかけてのローマ人またはギリシア人の歴史家はボイイ族をケルト人またはガリア人とみなしていた。その居住地域各地から後に出土した金石文から、ケルト語派の言語が使われていたことが判明しているが、ボイイ族が実際に使っていた言語は不明である。
この部族についてはガリア・ナルボネンシスフランス南東部)、パンノニア(現在のハンガリー東部)、ボヘミアモラヴィアスロバキア西部など、様々な歴史家がそれぞれの時代に居住地域を記述している。さらに考古学的証拠から、紀元前2世紀にボイイ族の故郷と思われるボヘミアから現在のポーランドの一部であるシレジアにケルト人が居住地域を拡大したことが判明している。
ボイイ族が歴史に初めて登場したのは紀元前390年の北イタリアへのガリア人侵入で、それによってポー平原から一部のエトルリア人が追い出され、残ったエトルリア人もガリア人に同化された。一連の戦争でローマ人に敗れると、ガリア・キサルピナ(現在の北イタリア)の属州民の一部となった。ボイイ族や他のドナウ流域のケルト人は、イタリア侵入の1世紀後のギリシャ侵略にも関与した可能性がある。彼らは敗れたものの、それ以前にアナトリア半島に定住し、ガラティアとして知られるようになった。2世紀以上後、ユリウス・カエサルはドナウ流域でゲルマン人系のスエビ族がボイイ族に最終的に取って代わったことを記している。その人口の多くはローマとの戦争で失われ、生存者は他の部族に分散し吸収された。
== 名称 ==
文献や金石文に残るケルト人の様々な名前から、大陸ケルト語の要素である "boio-" を見出すことができる。これがインド・ヨーロッパ語族に属しているという前提で、「雌牛」または「戦士」と解釈できる。したがって Boii とは「集まっている人々」または「戦士の人々」を意味すると考えられる。
「雌牛」説は、古アイルランド語の ''amboue''(部外者)、ケルト祖語
*ambouios(牛の所有者ではない)による。史上初のボイイ族についての言及において、ポリュビオスは〔ポリュビオス、『歴史』 II.17.〕彼らの富は牛と金であり、農耕と戦争を生業とし、仲間や配下の数が多い者ほど地位が高いと記している。そのような者をおそらく
*ambouii と呼び、それとは対照的に牛の所有者を
*bouvios と呼ぶ。
*bouii は元々は「牛の所有者」の階級を意味していた。「戦士」説は言語学者ユリウス・ポコルニーが提唱したもので、インド・ヨーロッパ語族で「打つ」を意味する
*bhei(ə)-、
*bhī- が語源だとした。しかしケルト語の名詞にはそれを補強するような例がなく、彼はもっと広範囲に例を探した。例えば、ウェネティ語の個人名である phohiio-s-、イリュリア人部族名 Boioi、ギリシア人部族名 Boiōtoi(ボイオーティア人)などである。「ボイイ」は
*bhei- から母音交替した
*bhoi- が語源とも考えられる。ボイイ族がかつてインド・ヨーロッパ祖語を話す民族だったとすれば、このような関連の可能性がある。中央ヨーロッパのケルト民族は、その可能性が高い。
「雌牛」説でも同様のより広範囲の関連を仮定することができる。ボイオーティア人は古くから牛を飼うことで知られており、イタリアという地名と同様に「子牛の土地」という意味を持つ地名だった可能性がある。インド・ヨーロッパ語の推定形は
*gʷou- すなわち「牛」を基礎とするもので、
*gʷowjeh³s などがある。
同時代の派生語としては、''Boiorix''(ボイオリクスキンブリ族のリーダー)やドイツの ''Boiodurum''(現代のパッサウに位置していたボイイ族の砦)がある。またボヘミア (''Bohemia'') は、boio- とゲルマン祖語で「故郷」を意味する
*haimoz を組み合わせた語で、「ボイイ族の故郷」を意味している。バイエルン (''Bayern'') はゲルマン人部族である ''Baiovarii'' に由来する。これはゲルマン語の ''
*baio-warioz'' で、前半は ''Boii'' のゲルマン語版と見られる。後半はゲルマン部族名に共通の形態素で「住民」を意味し、古英語の ''-ware'' と同じである〔ケルト語などに見られる印欧語の短い ''o'' はゲルマン語では ''a'' に変化した。その形成に関する限り、ケルト語またはラテン語とゲルマン語の混合と思われ、語幹の母音 ''bai-''o- がゲルマン語化した際に ''a'' に変化したと考えられる(例えば、ケルト語の ''ambio-rix'' とゲルマン語の ''þiuda-reiks'')。 しかし、このような形式は極めて一般的であり(例えばアラマンニ人部族名 ''Raetovarii'')、おそらく古代の著作家のラテン語の背景が影響していると思われるため、これを伝統的な語源学への反証として使うべきではない。〕。「ボイイの住民」とは、「かつてボイイ族が住んでいた場所の住民」という意味と解釈することもできる。'o- がゲルマン語化した際に ''a'' に変化したと考えられる(例えば、ケルト語の ''ambio-rix'' とゲルマン語の ''þiuda-reiks'')。 しかし、このような形式は極めて一般的であり(例えばアラマンニ人部族名 ''Raetovarii'')、おそらく古代の著作家のラテン語の背景が影響していると思われるため、これを伝統的な語源学への反証として使うべきではない。〕。「ボイイの住民」とは、「かつてボイイ族が住んでいた場所の住民」という意味と解釈することもできる。
'o- がゲルマン語化した際に ''a'' に変化したと考えられる(例えば、ケルト語の ''ambio-rix'' とゲルマン語の ''þiuda-reiks'')。 しかし、このような形式は極めて一般的であり(例えばアラマンニ人部族名 ''Raetovarii'')、おそらく古代の著作家のラテン語の背景が影響していると思われるため、これを伝統的な語源学への反証として使うべきではない。〕。「ボイイの住民」とは、「かつてボイイ族が住んでいた場所の住民」という意味と解釈することもできる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボイイ族」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Boii 」があります。




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