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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ポール・ボキューズ(Paul Bocuse, 1926年2月11日 - )は、フランスのリヨン近郊にあるレストラン「ポール・ボキューズ」のオーナー3つ星シェフで、ボキューズ・ドール賞の創設者。現在、小野二郎の90歳に次ぐ高齢3つ星シェフである。もっとも近年は、高齢であり、全く料理を作っていない模様。 == 来歴 == リヨン近郊、ローヌ県コロンジュ・オ・モン・ドールの料理人の家系に生まれる。 1942年、16歳でリヨンの「レストラン・ド・ラ・ソワリー」(Restaurant de la Soierie)で見習いを始める。1944年には志願して従軍。第二次世界大戦後の1946年、リヨンの「ラ・メール・ブラジエ」(La Mère Brazier)で修行した後パリでもキャリアを積み、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響を受けた。 1959年に生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継いで、1961年には国家最優秀職人章(MOF)を取得、1965年に得たミシュランの3つ星を50年維持している。 1970年代に、辻静雄の招きを受けてトロワグロ兄弟らと来日したとき、「吉兆」や「千花」などで、懐石料理・京料理の料理法や盛りつけに触発され、素材を活かす料理法を取り入れたり、盛りつける皿を料理ごとや季節ごとに変えたりするなど、地味だったフランス料理の盛りつけを根底から変えて新たなフランス料理の時代を作りあげたため、「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の旗手とされた。現在は古典への回帰を説き、国際的な知名度とともに現代フランス料理界で特別な存在である。 鱸のパイ包み焼きや、料理人としてはじめてレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領に捧げたトリュフのスープはあまりに有名。クレーム・ブリュレを今の形にしたのも彼である。 日本での展開としては、かつてボキューズとの提携店として、銀座の「レンガ屋」や、六本木のアークヒルズ内の「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」が営業していたが、その後いずれも閉店した。2007年からはひらまつと提携して再びボキューズ・ブランドによる店舗展開を行っている。 日本における弟子としては、ボキューズのスー・シェフを務めた後1972年に銀座レンガ屋開店のため来日し、現在は東京ミッドタウンの「キュイジーヌ・フランセーズJJ(cuisine francaise JJ)」のシェフを務めるジョエル・ブリュアン(Joel Bruant)がいる。 また、日本人では、「アピシウス(APICIUS)」の総料理長である小林定や、「シェ・ナカ(Chez Naka)」のオーナ・シェフ中村通武、「ラ・ベカス(La Becasse)」の渋谷圭紀、「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ(Les Creations de NARISAWA)」の成澤由浩などがレストラン「ポール・ボキューズ」で修行している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポール・ボキューズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paul Bocuse 」があります。 スポンサード リンク
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