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ボサンスカ・クライナ(ボスニア語・クロアチア語・セルビア語:)は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの北西部を指し示す歴史的な地域呼称であり、サヴァ川、ウナ川、ヴルバス川に囲まれた一帯を表す。 ボサンスカ・クライナで最大の都市はバニャ・ルカであり、バニャ・ルカは歴史的にこの地域の中心的な都市として機能してきた。この他のボサンスカ・クライナの主要都市としてはプリイェドル、ビハチ、ボサンスカ・グラディシュカ()、ボサンスカ・ドゥビツァ()、ヴェリカ・クラドゥシャ、サンスキ・モスト、ムルコニチ・グラード(Mrkonjić Grad)、ヤイツェなどがある。 ボサンスカ・クライナと呼ばれる行政的な地域区分は存在せず、この地域のアイデンティティは何世紀にも亘る歴史的な経緯により形作られたものである。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争以降、ボサンスカ・クライナは行政上はスルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦に分断されている。 == 呼称 == ボサンスカ・クライナのうち北西端の一帯はツァジンスカ・クライナと呼ばれている。この名前はその中心的都市であるツァジンに由来する。この地域はまた、オスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国時代に反乱が相次いだことから、リュタ・クライナ(Ljuta Krajina、「泥沼の辺境」)とも呼ばれる。 16世紀から19世紀まで、ウナ川とヴルバス川に囲まれたこの地域は「トルコ領クロアチア」と呼ばれた。この呼称を最初に用いたのは、1699年のカルロヴィッツ条約以降、オーストリアとオスマン帝国との国境管理に携わったオーストリア帝国軍の地政学家らによって使用された〔。19世紀中ごろには、地図学家らによってトルコ領クロアチアの呼称はボサンスカ・クライナへと置き換わっていった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボサンスカ・クライナ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bosanska Krajina 」があります。 スポンサード リンク
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