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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ピアニカ前田(ぴあにか まえだ、1954年- )は鳥取県出身のピアニカ奏者である。 == 来歴 == 1975年、鳥取県より上京。 友人から、スティービー・ワンダーの「イズントシーラヴリー」の間奏は実は鍵盤ハーモニカだと吹き込まれ、鍵盤ハーモニカ奏者になる(実際はハーモニカで演奏)。 1988年、「THE仲井戸麗市BOOK」に鍵盤ハーモニカで初参加。 1989年、ナツメグ・レーベルより、ピアニカ前田&グッドベイツとしてシングル『JUST YOU JUST ME」をリリース。この時よりピアニカ前田を名乗る。 1991年、ソロ名義にてミニ・アルバム『ピアニカ・スウィング』をリリース。そして同年、塚本功(ギター)、長山雄治(ウッドベース)との3人でピラニアンズの活動を開始。 1992年、渋谷クラブクアトロのオープン記念ライブとして、ローランド・アルフォンソ、MUTE BEAT、松竹谷清と共演。後に『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』としてCD化された。また、TOMATOSが全面参加したソロ・ミニ・アルバム『JUST A GUY』でポニーキャニオンよりメジャー・デビュー。 1993年、ソロとしての1stアルバム『PIANICAN SUMMER』をリリース。同年、ゲスト参加した東京スカパラダイスオーケストラのASA-chang(パーカッション)がそのままピラニアンズに加入。 1994年には、ピラニアンズとしての1stアルバム『ピラニアンズ』、2ndアルバム『サボテンマン』を立て続けにリリース。この間にASA-changは脱退、サポートのパーカッショニストを迎えて活動を続け、1996年から坂田学(ドラムス)がメンバーに加わる。 1997年に、ライブ・アルバム『富士山リバーブ』リリースするも、同年春、ピラニアンズは活動を停止。ソロとしての2ndアルバム『DOUBLE DREAM OF THE SUMMER』をリリース。 1998年には、坂田学(ドラムス)、宮田誠(ガットギター)、田中義人(エレキギター)との4人でボッサピアニキータを結成。 2001年に、1stアルバム『IL CIELO』、2003年に2ndアルバム『ピアニダージ』をリリース。 2006年、ピラニアンズが9年ぶりに、塚本功、長山雄治、坂田学との4人で活動再開。 2007年にライブアルバム『ピラニアンズライブ(復活中!)』をリリースした後、2010年には、アルバム『スーパーボルケーノ』をリリースし、ライブ活動も積極的に行っている。 その他、ソロとして様々なアーティストの録音やライブに参加しつつ、年に数回行われる松竹谷清のライブにも参加。 鍵盤ハーモニカ2本にギターという編成で、スタジオジブリの作品を中心に小学校等での演奏会を行ったり、この編成でスタジオジブリ作品をカバーしたアルバム『ピアニカで聴くスタジオジブリ作品集』(2008年)などもリリースしている。また、鍵盤ハーモニカ教則本の監修を2冊手がけるなど、鍵盤ハーモニカの奏法や調整法等についての発表も行っている。〔来歴は、公式サイトの バイオグラフィーを参照。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアニカ前田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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