|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 歴史 : [れきし] 【名詞】 1. history
ボツワナの歴史(ボツワナのれきし)では、アフリカ南部の内陸国ボツワナ共和国 の歴史を扱う。 ボツワナは歴史的には他の大陸やアフリカに興った帝国との関係が薄く、ゆるやかに独自に発展してきた。北のコンゴ諸王国のほか、イスラム商人が訪れるアフリカ東海岸との間にも山岳地帯が広がり、ほとんど影響を受けることがなかった。アフリカ大陸の中でも特に辺境であるといえるだろう。一方、一帯では少量ながら金が産出するため、唯一、東のジンバブエに栄えた諸王国との交流は進んでおり、安定した社会が形成されていた。 ボツワナの運命を変えたのはヨーロッパ人の侵入であった。入植地としては地中海沿岸を除くと最も古く、オランダ系のボーア人の破壊と侵略を受ける。次にドイツの登場に危機感を抱いたイギリスの保護下に入った。19世紀に至ると、アフリカ人同士の戦争の影響を強く受けた。イギリスの植民地経営が帝国主義的な色彩を強める中、セシル・ローズの政策により、ボツワナ周囲の植民地すべてが搾取の対象となった。しかし、ボツワナは資源に乏しく、厳しい風土、他の植民地との位置関係、ヨーロッパ人同士の対立から19世紀後半のアフリカ分割においても、積極的な獲得対象とは見なされなかった。 南部アフリカ地域は鉱物資源の種類に富み、採掘量が多いため、第二次世界大戦後は、アフリカ大陸でも最も独立が遅れた地域となる。同時に周辺国すべてが白人至上主義をうたうアパルトヘイト体制に移行し、南アフリカ共和国などの破壊工作を受けるようになっていく。現代に至ると新たな鉱物資源の開発と経済運営に成功し、アフリカの優等生と呼ばれるようになった。 == 国土の概要 == ボツワナの歴史を理解するには、ボツワナの国土についての知識が必要である。ボツワナの国土はいびつな五角形を成している。標高は1000m程度であり、四方の土地に比べると標高が低い平原の国である。面積は60万平方kmであるものの、国土の南東部を中心としたカラハリ砂漠とその周辺地帯たるステップが大部分を占める。降水量は農耕にはまったく不十分であり、国土に占める耕地面積は2002年においてもわずかに0.7%。主な産業は長らくウシの放牧であり、45%の土地が放牧地として使われている。現在のボツワナの国民のうち、95%はバンツー系のツワナ人である。このほか、人口の4%を占める少数民族のサンとコイが居住する〔マクミラン世界歴史統計(II) 日本・アジア・アフリカ編、原書房、1984年 ISBN 4562014350。Demographic Yearbook 1989, United Nations, ISBN 9210510747 〕。アフリカ大陸の国としては珍しく、1つの民族が大多数を占めている。このような民族構成になったのは紀元500年ごろからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボツワナの歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|