翻訳と辞書
Words near each other
・ ボノム =底ぬけさん=
・ ボノムリシャール
・ ボノム・リシャール
・ ボノム・リシャール (強襲揚陸艦)
・ ボノム・リシャール (空母)
・ ボノラマ
・ ボノルヴァ
・ ボノロン
・ ボノロン 〜不思議な森のいいつたえ〜
・ ボノンチーニ
ボノ・マンソ
・ ボノー
・ ボノーミ
・ ボノーラ
・ ボハイの乱
・ ボハラ
・ ボバ
・ ボバティー
・ ボバフェット
・ ボバン・バブンスキー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ボノ・マンソ : ウィキペディア日本語版
ボノ・マンソ

ボノ・マンソ (Bono Manso) は、ガーナ共和国の中央部、ブロング=アハフォ州(Brong-Ahafo)、熱帯雨林帯の北端でサバンナと接する好立地に位置する13世紀から17世紀にかけてサハラ交易で繁栄したとされる町である。
ボノ・マンソは、国家名として呼称する歴史研究者が散見されるが、Tekyiman人の口頭伝承によると国家名でなく、ボノ国の首都であったようである。そのことは、「ボノの国のあるところ」という文字通りの意味が示しているように思われる。ボノという名前は、(ボノ以外の話者によるとBrongと発音されるが)Twi語のボノ地方方言を話す人々のことを指し、この名称は、ガーナのブロング・アハフォ地方の南西部を除いた大部分を占める統合的な感覚(一体感)についても用いられる。もともとボノという名前は、特定の国家のことを想定する名前であった。
ところで、ガーナの初期国家についての最古の記録のひとつは、1629年オランダで作成された地図であるが、その地図には、ボノのことをBonnoeと記している。名前や位置から考えてTekyimanの人々の主張の通りと思われる。これがそうであるなら、ボノ・マンソというのは、ボノ国の首都の名前であることをかえって裏付けていると思われる。
Tekyimanの口頭伝承ではボノというのは、「先駆者」という概念で用いられる。つまり全ての種のはじまりという意味である。そしてボノ国家は、現在のブロング・アハフォ地方で最初に発展した国家だからである。このような主張は、ボノという名称が酒宴や祭りのような状況で太鼓を敲いて歌う歌の中からその名前をとったことが裏付けられる。
==ボノ・マンソ地方の最初の住民と文化==
ボノ・マンソの地に本格的に人々が住み始めた時代、すなわちアカン族の国家が形成されはじめるのは、食料生産が始まってから鉄器時代の初期にあたるだいたい紀元前2500年から紀元後1000年の間くらいと思われる。このころのボノ・マンソ地方の考古資料は、キンタンポ文化に属するものである。キンタンポ文化伝統の遺跡群は、ボルタ川の湾曲部、ガーナの森林の北限地帯にごく普通にみられるものであるが、ベゴー地方とボノ・マンソの遺跡群は、その物理的、立地的様相が著しく異なっている。
ボノ=マンソ地方では、岩陰遺跡が多いが、ベゴー地方は、「野外集落(オープン・サイト)」である。この違いは、時代ごとの占地の違いではなく、実際にベゴー地方で、砂岩の露頭のような地層が露出した場所は見られないが、ボノ・マンソ地方では、ごく普通に砂岩の崖の露頭と岩陰がみられる。ボノ・マンソとベゴーでは、同じ文化であることを象徴する遺物が生産されていた。つまり、磨製石斧、石製ブレスレッド、溝状の装飾が施された石、「やすり」、粗製の風化した装飾のくしの破片がみられる。
ボノ・マンソ地方では、4ヶ所かそれ以上の製品製作をおこなう伝統を持つ遺跡が北半分で発見されているが、それは、標式遺跡であるキンタンポ遺跡により近接している場所である。ボノ・マンソの南西約20kmに位置するGyammaの古老たちが神聖な場所と考える遺跡はすべてキンタンポ文化の道具と密接な関係があり、遺跡の年代は紀元前1500年から同1100年の間に相当する。キンタンポ文化とボノ・マンソの最も古い土器については関連性を見いだせない。このことは、キンタンポ文化が築かれたのは、ボノの人々が来る以前かボノの人々が別の場所に住んでいた時代のどちらかであったことを示す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボノ・マンソ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.