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ボバ : よみがなを同じくする語

牡馬
ボバ : ミニ英和和英辞書
牡馬[ぼば]
(n) male horse
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ボバ ( リダイレクト:田中要次 ) : ウィキペディア日本語版
田中要次[たなか ようじ]

田中 要次(たなか ようじ、1963年8月8日 - )は、日本俳優。別名はBoBA(ボバ)。
長野県木曽郡木曽福島町(現木曽町新開)出身。血液型はA型。長野県木曽山林高等学校(現長野県木曽青峰高等学校)林業科卒業。所属事務所はザズウ。元国鉄職員、JR東海社員。身長178cm。左利き。大型自動二輪免許所持。
== 略歴 ==
1982年国鉄長野鉄道管理局に就職。
1987年国鉄分割民営化にともない、JR東海東海鉄道事業本部社員となり、岡崎保線区に配属され、JR大府駅安城駅構内の職場に勤務した。その頃から映画館通いが頻繁となり、愛知、岐阜、三重を渡り歩き、地元の映画上映サークルと交流を深める。
1989年、親交のあった山川直人監督からオファーを受け、ミュージック・ビデオ佐木伸誘 / SEEK AND FIND』(1990.2.7発売) に出演。
1990年12月8日にJR東海を退職(田中自身はこれを“脱線”と称している)、俳優になる事を志して上京。この退職日は国鉄時代からサラリーマンとしての期間が8年8カ月8日であり、ジョン・レノン十回忌の当日でもあった。
1991年照明技師安河内央之に師事し、竹中直人監督『無能の人』の照明助手として参加。竹中監督の目に留まった田中は同作品にエキストラとして出演。同年の舞台『竹中直人の会 / 鉢植を持つ男』に舞台監督助手を兼ねて、神戸浩の代役としても参加した。その後も職種を問わず、俳優だけでなく撮影スタッフとしても照明助手の他に録音助手、ドライバー、付き人なども経験しながら、数多くの映像製作に携わった。
1994年、竹中直人監督『119』で、照明機材トラックの運転中に事故を起こした事をきっかけに、スタッフ業から退き、俳優に専念するようになる。
1994年から1998年まではバイク便ライダーをやりながら生計を繋いでいた。
2001年、平均視聴率全話30%超えを記録したTVドラマ『HERO』にバーテンダー役で出演した際の台詞「あるよ!」が話題となり、人気を博し、これをきっかけにバラエティにも進出した。
2003年、オムニバス映画『刑事まつり 一発大逆転』で短篇「窯岡刑事 / Coming Out Cop KAMAOKA」の監督を果たし、以降も『奪われた刑事 / Snatches』 (2004) など、短編作品を撮り続けている。
2015年、短編映画『ドラムマンz バチがもたらす予期せぬ出来事』の監督を務める。
上記のように現代の俳優としては一般職歴の長い遅咲き型であり、刑事役、悪役からサラリーマン役まで幅広い役柄をこなす俳優として多数の映画、ドラマに出演している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中要次」の詳細全文を読む




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