翻訳と辞書
Words near each other
・ ボビー・イートン
・ ボビー・ウィット
・ ボビー・ウィルソン
・ ボビー・ウォマック
・ ボビー・ウォレス
・ ボビー・ウォーマック
・ ボビー・ウッド
・ ボビー・ウーマック
・ ボビー・エドナー
・ ボビー・エルズワース
ボビー・オア
・ ボビー・オロゴン
・ ボビー・カスティーヨ
・ ボビー・カナヴェイル
・ ボビー・カナヴェール
・ ボビー・カンポ
・ ボビー・カー
・ ボビー・キンボール
・ ボビー・キーズ
・ ボビー・キールティ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ボビー・オア : ミニ英和和英辞書
ボビー・オア[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボビー・オア : ウィキペディア日本語版
ボビー・オア[ちょうおん]

ロバート・ゴードン・"ボビー"・オアRobert Gordon "Bobby" Orr1948年3月20日 - )はカナダオンタリオ州パリーサウンド生まれのプロ・アイスホッケー選手である。ポジションはディフェンスでありながら、得点力にも秀でており、2度のポイント王に輝いている。多くのファンから、史上屈指の好選手と認められている。オーダー・オブ・カナダを受章している。
== 来歴 ==
オンタリオ州パリーサウンドで生まれたボビー・オアは、 幼い時からアイスホッケーに対する才能を発揮した。14歳で州のジュニアAリーグOHLのオショワ・ジュネラルズに所属し、19-20歳前後の選手とともにプレーした。18歳でNHLの指示によりボストン・ブルーインズに入団する。
プロ入り初年度に、カルダー記念賞(リーグ新人王)を獲得し、1970年5月10日にホッケー史上最もアクロバティックなと形容されるゴールを決めて万年最下位チームであったブルーインズを29年目にして初のスタンレー・カップ進出に導き、チームの黄金時代を築いた。
ディフェンスであったボビー・オアはアイスホッケーの競技スタイルに革命をもたらしたとも評価され、攻撃的な役割を果すディフェンス選手という新たなスタイルを創造した。オアのスピード、とりわけその顕著な加速力とプレーの芸術性でディフェンス選手としておよそありとあらゆる記録を樹立し、ファンを熱狂させた。
膝の怪我により若くしての引退を余儀なくされたが、その現役時代(12シーズン)は、NHL を支配したとも形容されることがある。最優秀ディフェンス選手に贈られるジェームス・ノリス記念賞の受賞回数8回は、NHL史上最多(2005年現在)である。
オアは、ディフェンス選手としてはただ一人のリーグ得点王、アート・ロス記念賞を2度(1969-1970、1974-1975シーズン)にわたって獲得している。また、アシスト数においてもリーグ最多を5度記録している。特に1970-1971シーズンに記録した、シーズン139ポイントは、NHLディフェンス選手の記録として(2005年時点で)だれにも破られていない。
リーグ最優秀選手に与えられるハート記念賞は3年連続、ジェームス・ノリス記念賞は8年連続で獲得している。1970年にはスポーツ・イラストレイテッドの年間最優秀スポーツマン賞を受賞している。
1976年には、数度にわたる膝の手術を受けプレー中の激痛と戦いながら、国際試合のカナダカップの最優秀選手賞を獲得している。
1975-1976シーズンを終え、オアとの契約期間満了をむかえたブルーインズは、オアに対しチームのオーナーシップの18%を与えるといった魅力的な内容のオファーを行った。しかし、オアの代理人アラン・イーグルソン Alan Eagleson はこの条件をオアに開示せず、シカゴ・ブラックホークスとの契約を勧めたと伝えられる。このため、オアはブラックホークスと契約し、2シーズン後膝の問題により引退する。
1970年代後半に、新聞『ボストン・グローブ』紙が行ったニュー・イングランダーの投票で、オアは、テッド・ウイリアムス(Ted Williams、野球ボストン・レッドソックス外野手)、ビル・ラッセル(Bill Russell、バスケットボールボストン・セルティックス)、カール・ヤストレムスキー(Carl Yastrzemski、野球ボストン・レッドソックス外野手)、ボブ・クージー(Bob Cousy、バスケットボールボストン・セルティックス)といった選手を押しのけて、ボストン史上最高のアスリートに選出されている。
引退直後、1979年、3年の待機期間を待たずして特例でホッケーの殿堂入りを果す。史上最年少の殿堂入りとなる31歳の若さであった。また、Canada's Walk of Fame にもその名を止めている。オアの栄誉を称えるため故郷のパリーサウンドに建てられた記念館は、「ボビー・オアの殿堂(Bobby Orr Hall of Fame)」と呼ばれる。
1979年には、カナダ最高の勲章オーダー・オブ・カナダを受章している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボビー・オア」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.