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ボビー・グリッチ(Robert Anthony Grich:ロバート・アンソニー・グリッチ 1949年1月15日 - )は、MLBの右投右打の二塁手。アメリカ合衆国のミシガン州マスケゴン出身。 ==略歴== 6月6日に、ドラフト1巡目でボルチモア・オリオールズから指名を受け、プロ入り。プロ4年目となる6月29日のワシントン・セネタース戦で、メジャーデビューを果たした。デビュー戦でグリッチは「2番・セカンド」で先発出場。メジャー初打席はケイシー・コックスとの対戦となったが、凡打に終わった。第2打席もコックスと対戦。四球を選んで出塁した。第3打席もコックスと対戦したが、再び凡打。第4打席ではジム・シェレンバックと対戦したが、ここでも凡打に終わり、デビュー戦でヒットを放つ事は出来なかった。1970年は最終的に30試合に出場。20安打、打率.211に終わったが、20安打中3本が三塁打など、起伏に富んだシーズンとなった。 はわずか7試合の出場に留まったが、打率.300、出塁率.400を記録。更にメジャー初本塁打も放つなど、1970年と比べても十分に収穫のあったシーズンとなった。そして、に遂にレギュラーに抜擢され、133試合に出場。主にセカンドとショートを交互にこなしながら、内野の全ポジションで試合に出場した。結果は上々で、12本塁打、13盗塁とパワーとスピードを同時に発揮。オールスターゲームには、いきなりファン投票で選出され、「6番・ショート」で試合にも出場した(対戦投手:第1打席から順番にボブ・ギブソン、ドン・サットン、ビル・ストーンマン、タグ・マグロー。対戦結果:第1打席から順番に三振、凡打、三振、凡打)。更にMVP投票でも14位に入り(1位は148試合に出場し、打率.308、37本塁打、113打点、19盗塁を記録したシカゴ・ホワイトソックスのディック・アレン一塁手)、グリッチにとっては大飛躍の年となった。 は成績が更に向上。全162試合に出場し、主要打撃部門こそ伸びなかったものの、大きな収穫となる100四球以上を記録。出塁率が大幅に向上し、MVP投票でも2年連続20位以内となる19位に入った。は打撃面でも飛躍。オールスターゲーム出場、MVP投票9位ランクインなど、例年通りの活躍を見せた。には成績が低下したが、には自身3度目となるオールスターゲームにも選出された。シーズンオフの11月6日、グリッチは自身初のFAとなり、11月24日にカリフォルニア・エンゼルスと契約を結んだ。 オリオールズで好成績を残してエンゼルスに入団したグリッチだったが、初めの2年間は本塁打、盗塁共に1ケタに留まり、大きく期待を裏切る形となってしまった。しかし、三十路を迎えたグリッチはに復活。復活と言うよりむしろ、更に飛躍を遂げたと言えるシーズンとなった。盗塁こそ1つで、以前のような走力はなくなってしまったものの、自身4度目となるオールスターゲームに選出。いずれも自己ベストとなる打率.294、30本塁打、101打点を記録、MVP投票でも自己ベストとなる8位にランクインした。しかし、1979年はいくら何でも出来過ぎだったようで、には成績が低下。50日間に及ぶストライキのあったには、わずか100試合出場で打率.304、22本塁打を記録し本塁打王(トニー・アーマス、ドワイト・エバンス、エディ・マレーも22本塁打)にも輝いたが、それ以降のシーズンでは大爆発する事もなく、10月2日の試合を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボビー・グリッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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