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ボビー・ダンカン・ジュニア : ミニ英和和英辞書
ボビー・ダンカン・ジュニア[じゅにあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジュニア : [じゅにあ]
 【名詞】 1. junior 2. (n) junior

ボビー・ダンカン・ジュニア : ウィキペディア日本語版
ボビー・ダンカン・ジュニア[じゅにあ]

ボビー・ダンカン・ジュニアBobby Duncum, Jr.1965年8月26日 - 2000年1月24日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテキサス州オースティン出身。
父親のボビー・ダンカンと同様、カウボーイギミックの大型ラフファイターとして、1990年代全日本プロレスWCWで活躍した。
== 来歴 ==
テキサス大学オースティン校カレッジフットボールの選手として活動後、1989年に地元テキサスダラスにてデビュー〔。1992年下期、ダラスのインディー団体GWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)にてジョン・ホークと大型カウボーイ・コンビのテキサス・ムスタングスを結成し、11月27日にブラック・バート&ジョニー・マンテルからGWFタッグ王座を奪取。翌1993年5月、当時GWFとの提携ルートを持っていたNOWに初来日した。
1995年5月、全日本プロレスに初参戦し、以降は全日本の常連外国人選手となって活躍。かつて父のボビー・ダンカンとタッグを組んだことのあるスタン・ハンセンのタッグパートナーにも起用され、1997年世界最強タッグ決定リーグ戦にはハンセンとのコンビで出場している。全日本参戦と並行してアメリカではECWに単発出場しており、トミー・ドリーマーバンバン・ビガロサブゥーロブ・ヴァン・ダムアル・スノースーパー・ノヴァダグ・ファーナスフル・ブラッデッド・イタリアンズなどと対戦した。
1998年11月、ベビーフェイスのポジションでWCWに参戦。同月16日の『マンデー・ナイトロ』におけるデビュー戦でクリス・ジェリコWCW世界TV王座に挑戦してカウントアウト勝ちを収め(タイトルは移動せず)、以降ジェリコと抗争を展開した〔。翌1999年ヒールに転向し、カート・ヘニングバリー・ウインダムケンドール・ウインダムとのカウボーイ・ユニット、ウエスト・テキサス・レッドネックスで活動。フィルシー・アニマルズ(コナンエディ・ゲレロレイ・ミステリオ・ジュニアビリー・キッドマン)やレボリューション(クリス・ベノワシェーン・ダグラスディーン・マレンコペリー・サターン)と軍団抗争を繰り広げた。
1999年の秋から回旋筋腱板の手術のため欠場していたが、翌2000年1月24日鎮痛剤の過量投与のため死去〔。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボビー・ダンカン・ジュニア」の詳細全文を読む




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