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ボビー"ブルー"ブランド (Bobby "Blue" Bland, 1930年1月27日 - 2013年6月23日) は、アメリカ合衆国のブルース歌手。ゴスペルの影響を強く受けた深みのある歌声を聴かせる。楽器を弾くシンガーが多いブルースの世界において、歌一本で1950年代初頭から晩年の2010年代まで活躍した。黄金期を築いたデューク・レーベルでは、エリック・クラプトンのレパートリーにもなった「Farther on up the Road」を始め、数多くの作品をリリース。80年代以降もマラコ・レーベルへ移籍して活躍を続け、「Members Only」が代表曲のひとつとして知られるようになった。 まるで痰を吐くようにのどを鳴らす唱法は独特で、彼のトレードマークとなっている。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第44位。 ==来歴== 1930年1月27日、メンフィス郊外のローズマークに生まれる。1948年にメンフィスに移住すると、ゴスペル・グループ、ミニチュアーズで音楽活動を開始した。続いてB・B・キングらがメンバーだったビール・ストリーターズに参加。 1951年、モダン・レコードに初のレコーディングを行う。翌1952年には、チェスにてシングルを1枚リリース後、デューク・レコードと契約。同レーベルには20年以上に渡って在籍し続け、その間R&Bチャートのトップを飾った"Farther on up the Road" (1957年)を始め、"I'll Take Care of You" (1959年)、"I Pity the Fool" (1961年)、"Yield Not To Temptation" (1962年)などのヒットを世に送り出した。 1973年にデュークがABCレコードに買収されるとブランドもABC所属となった。この時期にもブランドは、スティーブ・バリの制作による曲「エイント・ノー・ラブ・イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ」のような傑作を発表している。1978年、クラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウンとのカップリングで初の日本ツアーを行った。1988年、1998年にも来日している〔「来日ブルースマン全記録1971-2002」(ブルース・インターアクションズ)〕。1979年にABCがMCAレコードに買収され、MCA所属となるが、引き続き作品はリリースを続けた。 1985年には、ミシシッピ州のブルース/ソウル系インディー・レーベル、「マラコ・レコード」に移籍し、同レーベル一作目となる''メンバーズ・オンリー''をリリースした。ブランドは、南部のアフリカ系アメリカ人に根強い人気を保っており、彼ら向けの作品を多くリリースしているマラコへの移籍は、ブランドの方向性と合致した動きだったと言えるだろう。同作を皮切りにマラコでは多くの名作をリリースしており、マラコ時代はデュークに続く第二の黄金期と言われている。 1992年、ロックの殿堂入りを果たした。1997年には、グラミー賞のLifetime Achievement賞を受賞している〔Grammy Lifetime Achievement Award 〕。 2013年3月、肺炎などによりメンフィスの病院に入院〔Is bobby blue bland in the hospital?(Wiki Answers) 〕。病気療養中の2013年6月23日、メンフィスの自宅にて死去した〔Bobby ‘Blue’ Bland, known for ‘Further On Up the Road’ and ‘Turn on Your Love Light,’ dies (AP) 〕。83歳だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボビー・ブランド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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