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ボビー・ボニーヤ : ミニ英和和英辞書
ボビー・ボニーヤ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボビー・ボニーヤ : ウィキペディア日本語版
ボビー・ボニーヤ[ちょうおん]

ボビー・ボニーヤRoberto Martin Antonio "Bobby" Bonilla , 1963年2月23日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区出身の元プロ野球選手。(外野手または三塁手一塁手)。右投両打。
主に1980年代後半から1990年代にかけて活躍した。先祖はプエルトリコ人。
== 来歴 ==

=== ピッツバーグ・パイレーツまで ===
1986年4月9日シカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューを果たすが、そのシーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍。両球団合計で138試合に出場するが、打率.256、3本塁打と目立った活躍はなかった。当時パイレーツは下位を低迷。財政難もあって高給取りのベテランを放出していた。名将ジム・リーランド(現デトロイト・タイガース監督)を迎え、チームの若返りを図り、当時23歳のボニーヤもそれにマッチすることとなる。
1987年、主に三塁手として起用されたボニーヤは打率.300、15本塁打、77打点と活躍。1988年には159試合で打率.274、24本塁打、100打点の活躍でチームの2位浮上に貢献。また、この年初のオールスター出場を果たした。1990年には外野(ライト)に転向し、レフトバリー・ボンズセンターアンディ・バンスライクとともにナショナルリーグ屈指の外野トリオを形成し、チームは1990年1991年に2年連続地区優勝を果たす。特に1990年には32本塁打、120打点を記録し、MVPに選ばれたボンズに引けを取らない大活躍をした。1991年も18本塁打だが100打点を記録。
しかし、もともと財政難のチームでは年俸が高騰した選手を抱えきれず、ボニーヤもフリーエージェントとなった。ボニーヤの放出後、パイレーツは1992年にもナ・リーグ東地区(当時)優勝(3連覇)を果たすが、全て西地区優勝チームにプレイオフで敗れ、ワールドシリーズ進出はならなかった。また、1993年以降はプレイオフはおろか、勝率5割からも遠ざかっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボビー・ボニーヤ」の詳細全文を読む




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