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ボビー・ヴァンツァー : ミニ英和和英辞書
ボビー・ヴァンツァー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ボビー・ヴァンツァー : ウィキペディア日本語版
ボビー・ヴァンツァー[ちょうおん]

ボビー・ヴァンツァーBobby Wanzer, 1921年6月4日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。出身地はニューヨーク州ブルックリン、出身大学はシートン・ホール大学1948年の入団以来ロチェスター・ロイヤルズ一筋でプレイし、1951年の優勝に貢献した。
ボビー・ヴァンツァーことロバート・フランシス・ヴァンツァーは正確なシュート精度を誇り、1951-52シーズンにはフリースロー成功率90.4%を記録しリーグトップとなると共に、同成功率90%を超えた初の選手となった。しかし彼の最大の持ち味はそのオールラウンドな働きにあり、パス、ドリブル、シュート、ディフェンスと彼に出来ないことは無く、特に粘り強いディフェンスやチームに対する献身的なプレイは高く評価された。1950年代に入ると全盛期を迎え、1951-52シーズンにはキャリアハイとなる15.7得点5.0リバウンド4.0アシストを記録し、初のオールスターとオールNBA2ndチームに選出されている。ヴァンツァーと彼の大学の先輩にあたるボブ・デイヴィス、控えのレッド・ホルツマンのバックコート陣はロイヤルズにとって大きな戦力となり、1951年の優勝に繋がった。
BAA/NBA通算成績は9シーズン568試合の出場で6,924得点1,979リバウンド1,830アシスト、平均12.2得点4.5リバウンド3.2アシストだった(リバウンドは1950-51シーズンからの計測)。
ヴァンツァーは選手時代だった1955-56から2年間、選手兼ヘッドコーチとしてロイヤルズを指揮した。引退後はコーチに専念したが、エースのモーリス・ストークスを中心に当時成績が落ち込んでいたチームの再建に努めたが、ストークスが不慮の事故で引退を余儀なくされ、1958-59シーズンは開幕から大きく負け越してしまい、ヴァンツァーはシーズン中にコーチから解任された。コーチキャリアの通算成績は234試合98勝136敗、勝率.419だった。
;受賞歴
*NBAファイナル優勝:1951年
*NBAオールスターゲーム出場:1952年-1956年
*オールNBA2ndチーム:1952年-1954年
*殿堂入り

== 外部リンク ==

*選手成績
*コーチ成績
*バスケットボール殿堂






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボビー・ヴァンツァー」の詳細全文を読む




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