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ボブ・バックランド : ミニ英和和英辞書
ボブ・バックランド[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ボブ・バックランド : ウィキペディア日本語版
ボブ・バックランド[らん]

ボブ・バックランドBob Backlund、本名:Robert Lee Backlund1949年8月14日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーミネソタ州プリンストン出身。
1978年から1983年にかけて、WWFヘビー級王者として活躍。日本では「ニューヨークの帝王」「超新星」などのニックネームで呼ばれた。
== 来歴 ==
ノースダコタ州立大学在学時の1971年NCAAレスリング選手権で優勝。卒業後、ミネアポリスにてエディ・シャーキーのトレーニングを受け〔『Gスピリッツ Vol.15』P78(2010年、辰巳出版、ISBN 477780772X)〕、1973年NWAのトライステート地区でデビュー〔『Gスピリッツ Vol.27』P23(2013年、辰巳出版、ISBN 4777811476)〕。翌1974年3月、テキサス州アマリロに転じ、地区デビューから1週間後の3月9日にカール・フォン・スタイガーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取する〔。アマリロではジャンボ鶴田スタン・ハンセンと邂逅し、3人は同じ車で移動していたという〔スタン・ハンセン著『魂のラリアット』P79-82(2000年、双葉社、ISBN 4575291080)〕。同年7月、アマリロとの提携ルートで全日本プロレスに初来日。外国人選手はミル・マスカラスをエース格に、シューターとして知られるダニー・ホッジボブ・ループも同時参加していた。
以降もNWAの主要テリトリーを転戦し、1975年10月にはジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて、ジェリー・ブリスコと組んでトール・タナカ&ミスター・フジからジョージア・タッグ王座を奪取。1976年4月23日にはNWAの総本山ミズーリ州セントルイスにて、ハーリー・レイスを下しミズーリ・ヘビー級王座を獲得。以降、ロード・アルフレッド・ヘイズロジャー・カービーキラー・カール・クラップオックス・ベーカー、前王者レイスらの挑戦を退け、11月26日にジャック・ブリスコに敗れるまで、NWA世界王者への登竜門とされた同王座を保持した(戴冠中の10月8日には、キール・オーディトリアムにてテリー・ファンクNWA世界ヘビー級王座に挑戦している)。
その後フロリダ地区AWAを経て、1977年よりWWWF(後のWWF、現在のWWE)に参戦。ビンス・マクマホン・シニアはアスリート・タイプのバックランドを、かつてのブルーノ・サンマルチノ時代との差別化を図る上で絶好の選手と判断し、バックランドは瞬く間にWWWFのトップに駆け上がる。1978年2月20日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてスーパースター・ビリー・グラハムを破り、WWWF世界ヘビー級王座を獲得。以降、翌年にWWWFがNWAに再加盟して団体名をWWFに変更し、タイトルもWWFヘビー級王座と改称されてからも、ニューヨークの帝王として幾多のチャレンジャーを迎え撃った。
WWF王者時代には、AWA王者ニック・ボックウィンクル(1979年3月25日、トロント)、NWA王者ハーリー・レイス(1980年9月22日、ニューヨーク / 同年11月7日、セントルイス)、NWA王者リック・フレアー1982年7月4日、アトランタ)との王座統一戦も行っている(いずれも引き分けまたは反則裁定により、王座は移動せず)。1980年8月9日にシェイ・スタジアムで開催された『ショーダウン・アット・シェイ』ではペドロ・モラレスと組んでワイルド・サモアンズを破り、WWFタッグ王座も獲得している。
WWFと提携していた新日本プロレスには1978年5月に初参戦。以降もWWF王者として来日し、たびたび防衛戦を行っている。1979年11月30日に徳島市立体育館アントニオ猪木に敗れ一時王座を失っているが、1週間後の12月6日、蔵前国技館で行われたリターンマッチの内容(タイガー・ジェット・シンの乱入による無効試合裁定)を不満として猪木が王座を返上〔〔『Gスピリッツ Vol.32』P14-15(2014年、辰巳出版、ISBN 4777813304)〕。12月17日、マディソン・スクエア・ガーデンにてバックランドとボビー・ダンカンとの間で王者決定戦が行われ、これに勝利したバックランドが再びWWFヘビー級王座に返り咲いた〔(猪木の王座獲得は、現在のWWEの公式記録には残されていない)〔。
1980年5月の新日本『第3回MSGシリーズ』への特別参加では、同月27日に大阪府立体育館にてダスティ・ローデスを相手にWWF王座を防衛。同年の12月には猪木とのコンビで『第1回MSGタッグ・リーグ戦』に出場、決勝でスタン・ハンセン&ハルク・ホーガンを破り優勝を果たした。このリーグ戦にはアンドレ・ザ・ジャイアントも参加しており(パートナーはザ・ハングマン)、5月のローデス戦に続き、アメリカでは見られないベビーフェイスのトップ同士の対戦がタッグマッチながら実現している。
その後、WWFはビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下となり、各地の有力選手を次々と引き抜き全米侵攻を開始するが、派手さに欠けるバックランドは全米制覇のトップには不適格と判断され、次期王者にはハルク・ホーガンを据えることが決まり、1983年12月26日、アイアン・シークに敗れ王座転落。5年10か月間に渡って君臨していた「ニューヨークの帝王」の座を降りることになった〔ショーン・アセール、マイク・ムーニハム共著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P50-53(2004年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583037880)〕。
王座陥落後もしばらくWWFに残留し、ホーガン、アンドレ、サージェント・スローターらと共に、ベビーフェイス陣営の主力として全米サーキットに合流。ロディ・パイパーポール・オーンドーフデビッド・シュルツなどニューカマーのヒールとも対戦したが、1984年7月にWWFを離脱し、AWAのバーン・ガニアやNWAのジム・クロケット・ジュニアらが共同で立ち上げたWWFの対抗勢力 "Pro Wrestling USA" に参加した。1985年は2月22日にセントポール、4月18日にワシントンD.C.にて、リック・マーテルAWA世界ヘビー級王座に挑戦している。
1986年から1990年代初頭にかけてはセミリタイア状態となり、日本には1988年より第2次UWFUWFインターナショナルに参戦したが、高田延彦に3連敗を喫するなどして精彩を欠いた。
1992年末、WWFに復帰。当初は王者時代と同じくベビーフェイスとして活躍し、1993年ロイヤルランブルでは60分以上も闘い抜いたが、1994年に突如ヒールターンを決行。敬称を冠した「ミスター・ボブ・バックランド」を正式なリングネームにして自分への敬意をファンに強要するなど、後のカート・アングルウィリアム・リーガルを足して割ったような嫌味で口うるさい紳士ギミックへのキャラクターチェンジを果たした。荒廃したアメリカ文化の矯正を図るべく、アングルとして大統領選挙への出馬を表明したこともある。
同年11月23日、ブレット・ハートを破り11年ぶりにWWF王者に返り咲く〔。しかし11月26日のMSGにおけるハウス・ショーディーゼルにわずか8秒で敗れ、文字通りの三日天下に終わった。
1994年には当時WWFと提携していたWARに参戦し世界6人タッグ王座を獲得。1995年はブレット・ハートと抗争を展開し、レッスルマニアXIではアイ・クイット・マッチを行う。同年下期から1996年にかけてはプレイング・マネージャーとしてディーン・ダグラスザ・サルタンのセコンドも務めた。
WWF離脱後はバトラーツや新日本プロレスに単発参戦。近年はコネチカット州で建設資材を扱う会社を経営している。2007年にはTNAに登場したが、WWEのバックステージにも時折、顔を出すことがある。2012年7月9日のRAWでは久々にリングに上がり、ヒース・スレイター十八番チキンウィングフェイスロックタップアウトさせた。2013年4月にはWWE殿堂に迎えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボブ・バックランド」の詳細全文を読む




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