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ボブ・フィッシモンズ(Bob Fitzsimmons、1863年5月26日 - 1917年10月22日)は、イギリスの元プロボクサー。本名はロバート・ジェームス・フィッシモンズ(Robert James Fitzsimmons)。世界ミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級と、史上初の3階級制覇王者。なお、王座獲得の順番はミドル級、ヘビー級、ライトヘビー級となっている。また、「ソーラー・プレキサス・ブロー」と呼ばれる即効性ボディブローの発案者とされている。 全身に広がっていたそばかすから「ルビー」のニックネームが付けられた〔。 == 来歴 == === オセアニア時代 === 1863年5月26日、イギリスのコーンウォール州、ヘルストンで産まれると9歳の時に家族と共にニュージーランドへ移住した。カンタベリー地方のティマルという町に居を構えると、そこで兄ジャレットの鍛冶屋で鍛冶職人になった。 1880年から1881年の間にジェム・メイストーナメントという大会の優勝者になった。81年後半にはプロボクサーになっているらしく、記録によればハーバート・スレイドという選手を2RKOしたとされるが、ファイトマネーを受け取ったかは定かではない。フィッシモンズはそこで6試合(内、2試合はベアナックル)行い、5勝1敗の戦績を残したが、これらの試合で報酬を受け取ったかも記録では定かではない。 公式な記録によれば1883年からフィッシモンズはオーストラリアでプロボクサーとして活動したことになっている。初戦をジム・クロウフォードという選手に3RKO勝ちで飾っている。28試合をオーストラリアで行った。1890年2月10日にオーストラリア国内ミドル級王座に挑戦に失敗した(噂では八百長試合だといわれている)。その後にエドワード・ロリンスに9RKO勝ちした。この時点でフィッシモンズは古豪ジェム・メイス(ベアナックル時代の元世界ヘビー級王者)の技術と鍛冶職人時代に培ったパワーを生かし、大振りのパンチは主体のスタイルが主流だった当時において近距離でジャブを主体とするという革新的なスタイルを確立していた。1890年3月1日のプロフェッサー・ウェスト戦を最後にアメリカを主戦場に移した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボブ・フィッシモンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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