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ボブ・ブライアン(Bob ''Charles'' Bryan, 1978年4月29日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州カマリロ出身の男子プロテニス選手。身長193cm、体重88kgで、左利き。双子の兄弟であるマイク・ブライアンとともに「ブライアン兄弟」のダブルスとして活動。兄弟2人ともシングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。 ダブルスでのキャリアゴールデンスラム達成者。ATPツアーで史上初のダブルス100勝を挙げている == 来歴 == 1978年4月29日にアメリカ・カリフォルニア州カマリロで双子の兄弟が誕生した時、ロバート・チャールズは双子の弟として2分後に生まれた。ブライアン兄弟は両親ともにテニスのコーチで、双子の兄弟は2歳の頃から両親にテニスを学んだ。2人の兄弟は早くから、トーナメントのシングルスで「兄弟対決」を両親に禁じられてきたという。2人とも1997年から1998年の2年間スタンフォード大学に在学し、NCAA主催のテニス大会で活躍した。ボブは1998年にNCAAで男子シングルス、マイクとのダブルス、スタンフォード大学団体優勝の3冠獲得を達成し、この年からプロテニス選手に転向した。2001年から双子の兄弟のペアはATPツアーで優勝できる力をつけ、この年に年間4勝を挙げる。 2003年の全仏オープン男子ダブルスで、2人は4大大会男子ダブルス部門で初優勝を達成し、決勝で連覇を狙ったエフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)&ポール・ハーフース組(オランダ)を 7-6, 6-3 で破った。同年に全米オープンでもダブルス決勝に進んだが、トッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)&ヨナス・ビョルクマン(スウェーデン)組に 7-5, 0-6, 5-7 の逆転で敗れて準優勝になり、年間2冠獲得を逃している。この年は男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」のダブルス部門でも、フランスペアのファブリス・サントロ&ミカエル・ロドラ組を破って初優勝を飾った。しかし、2004年の全豪オープン男子ダブルス決勝では、サントロ&ロドラ組に 6-7, 3-6 で敗れている。2人は2004年アテネ五輪のアメリカ代表選手にも選ばれたが、ここでは準々決勝でチリ代表のニコラス・マスー&フェルナンド・ゴンサレス組に敗退した。全米オープンは3回戦敗退に終わったが、テニス・マスターズ・カップで大会2連覇がある。 2005年のシーズンに、ボブとマイクはすべての4大大会で男子ダブルス決勝に進出した。全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドンの3大会連続で準優勝止まりだった2人だが、全米オープンで4大大会ダブルス2勝目を達成する。2006年のウィンブルドンまで、2人は「7大会連続」で4大大会ダブルス決勝に出場した。全豪オープン決勝ではリーンダー・パエス(インド)&マルティン・ダム(チェコ)組を 4-6, 6-3, 6-4 で破って4大大会3勝目を獲得したが、全仏オープンではマックス・ミルヌイ(ベラルーシ)&ヨナス・ビョークマン組に敗れ、2年連続の準優勝で止まった。ウィンブルドンではファブリス・サントロ(フランス)&ネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)組を 6-3, 4-6, 6-4, 6-2 で破り、男子テニス界では史上6組目となる「同一ペアによるキャリア・グランドスラム」を達成した。 2007年全豪オープン男子ダブルス優勝後、ボブとマイクはしばらく好成績が減った時期もあるが、2008年北京五輪で男子ダブルスの銅メダルを獲得する。それから、2人は2008年全米オープンと2009年全豪オープンに連続優勝した。2009年3月6日-8日に行われたデビスカップ「ワールドグループ」1回戦で、アメリカはスイスを4勝1敗で下した。ブライアン兄弟はダブルス戦で、スイス・チームのスタニスラス・ワウリンカ&イブ・アレグロ組を 6-3, 6-4, 3-6, 7-6 で破り、デビスカップのアメリカ代表チームとして15勝目を挙げた。こうして2人はデ杯米国チームの「ベスト・ダブルス・チーム」になり、それまでの米国ダブルス歴代1位タイだったジョン・マッケンロー&ピーター・フレミング組(14勝1敗)とウィルマー・アリソン&ジョン・バン・リン組(14勝2敗)組を抜いた。 2012年7月のロンドン五輪男子ダブルス決勝でボブとマイクはフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ミカエル・ロドラ組を 6–4, 7–6(2) で破り金メダルを獲得しキャリアゴールデンスラムを達成した。2012年全米オープン男子ダブルス決勝でリーンダー・パエス&ラデク・ステパネク組を 6-3, 6-4 で破り4大大会通算12勝目を挙げた。同一ペアとしてはウッディーズの11勝を更新しオープン化以降では1位になった。 ボブ・ブライアンは混合ダブルスでは、全米オープンで2003年と2004年、2006年、2010年に4勝がある。パートナーはそれぞれ異なり、2003年はカタリナ・スレボトニク、2004年はベラ・ズボナレワとペアを組んで優勝した。2006年の全米混合ダブルスでは、ボブは49歳のマルチナ・ナブラチロワとペアを組み、決勝でマルティン・ダム&クベタ・ペシュケ(ともにチェコ)組を 6-2, 6-3 で破って優勝し、ナブラチロワは現役最後の試合で“有終の美”を飾った。2010年はリーゼル・フーバーとペアを組んで4度目の優勝に輝いた。 2008年、ボブは混合ダブルスで全仏オープンとウィンブルドンを連続制覇した。パートナーは全仏オープンがビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)で、ウィンブルドンはサマンサ・ストーサー(オーストラリア)であった。ウィンブルドンの混合ダブルス決勝では、ボブとマイクがネットをはさんで戦い、ボブとストーサーのコンビはマイクとカタリナ・スレボトニク(スロベニア)組を下した。 2010年全米オープン混合ダブルスにてリーゼル・フーバーとペアを組み優勝。全米混合優勝4回は歴代1位タイ記録となった。 2012年12月デビスカップで欠場。マイクがマーディ・フィッシュとペアを組み出場したため、2003年8月以来となるボブとマイクのランキングが異なることになり、2011年11月から続いていた世界ランキング1位記録が途切れた。 2014年全米オープン男子ダブルスで優勝。グランドスラム合計優勝回数23はトッド・ウッドブリッジに並んで歴代3位タイ記録。 2014年10月、上海マスターズ2回戦にてブライアン兄弟での通算900勝を達成。今大会初優勝した事でキャリアゴールデン・マスターズ(マスターズ9大会すべて制覇)を達成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボブ・ブライアン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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