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ボヘミア四重奏団 : ミニ英和和英辞書
ボヘミア四重奏団[ぼへみあよんじゅうそうだん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よん]
  1. (num) four 
四重 : [しじゅう]
 (n) fourfold
四重奏 : [しじゅうそう]
 【名詞】 1. instrumental quartet 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
重奏 : [じゅうそう]
 (n,vs) instrumental ensemble
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

ボヘミア四重奏団 : ウィキペディア日本語版
ボヘミア四重奏団[ぼへみあよんじゅうそうだん]

ボヘミア四重奏団は、1891年に結成された弦楽四重奏団1918年よりチェコ四重奏団 ()に改名し、1934年に解散した。また、スク四重奏団と呼ばれたこともあった。
== 歩み ==
ブダペストにおいて、アントニン・ベネヴィッツの3人の門人(カレル・ホフマンヨセフ・スクオスカル・ネドバル)と、ハヌシュ・ヴィハーンの門人(オタカル・ベルゲル)によって結成された。ヴィハーン自身がミュンヘン宮廷のルートヴィヒ2世専属の弦楽四重奏団員を務めたチェリストであり、1888年からプラハ音楽院の教授を務めていた。門弟のベルゲルが夭折すると、自らその後任チェリストを務めて四重奏団を監督したが、1913年には演奏旅行の激務のために、演奏活動から引退せざるを得なくなり、教職に復帰している。ヴィハーンの後任は、ラディスラフ・ゼレンカであった。ゼレンカは1911年からシェフチーク=ラツキー四重奏団のチェリストだった人物である。1906年ヴィオラ担当のネドバルが退団するとイェジー・ヘロルドを、1933年に第2ヴァイオリンのスクが引退するとスタニスラフ・ノヴァークをそれぞれ後継者として迎えている。
ボヘミア四重奏団は、特にスメタナドヴォルジャーク弦楽四重奏曲に力を入れてヨーロッパ各地で演奏旅行を繰り返し、温かな音色と強烈なリズムで評価された。1922年には団員全員がプラハ音楽院の教授に迎えられている。多くの作曲家から作品を献呈されたり、あるいは数々の作品の世界初演を行なっており、例えばヤナーチェクの《ないしょの手紙》もその一例にほかならない。主要なレパートリーであった同胞の作品のいくつかを録音に遺しており、団員だったヨセフ・スクの作品も取り上げている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボヘミア四重奏団」の詳細全文を読む




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