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アレグザンダー・ボリス・ジョンソン(Alexander Boris de Pfeffel Johnson、1964年6月19日 - )は、イギリスの政治家、ジャーナリスト、歴史家。庶民院議員を2期務め、2015年現在ロンドン市長(2期目)。 ==来歴== ジョンソンは、欧州議会議員スタンレー・ジョンソンと最初の妻シャーロット・フォーセットの長男として、ニューヨークで生まれた。のちに家族とともにイギリスに戻った。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業。 オスマン帝国末期の内務大臣だったアリ・ケマルの子孫である(父方の祖父であるオスマンは、第一次世界大戦中にイギリス国籍を取得、自らの母親の旧姓であるジョンソンを姓に定めた)。父方の先祖にはイギリス王ジョージ2世がいる。ジョージ2世の玄孫であるヴュルテンベルク王子パウルが愛人との間にもうけた庶出の娘が、ジョンソンの玄祖母にあたる(ド・プフェッフェル(de Pfeffel)は玄祖母の嫁いだ男爵家の家名である)。ただし庶子を通じての血筋を引くに過ぎないため、英国王位継承資格は認められない。母方の先祖には、ユダヤ系ロシア人で、アメリカで古文書学者となったイライアス・ロウ(en)がいる 。彼は多国籍にわたる先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムからなる)についてふれ、自らを『るつぼからなる人間』(one-man melting pot)と称している。 1987年よりデイリー・テレグラフ紙記者となり、1989年から1994年まで同紙のEC特派員となった。1994年から1995年までスペクテイター誌(en)の政治コラムニストを務め、1999年から同誌の編集者となり、2005年に影の内閣の高等教育大臣に任命されるまで務めた。 市長就任後、ジョンソンはデイリー・テレグラフ紙においてウィークリー・コラムを再開することを発表した。ガーディアン紙は、彼がコラム執筆を年俸25万ポンドで同意したと報じている(年俸のうち2万5千ポンドずつ、ジャーナリズムを学ぶ学生の奨学金、古典学を学ぶ学生の奨学金に寄付している)。 2012年5月3日に投票が行われたロンドン市長選において、ケン・リヴィングストンを破り、再選を果たした〔ロンドン市長選で現職再選 時事ドットコム、2012年5月5日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボリス・ジョンソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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