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ボルジッヒ(独 Borsig)は、ベルリンに本拠を置くドイツの機械製造企業。 かつて蒸気機関車の時代にはその有力メーカーで、ヨーロッパ最大、世界でも第2位の地位を占めていた。 ==創立者アウグスト・ボルジッヒとその会社== アウグスト・ボルジッヒ(Johann Friedrich August Borsig、ブレスラウ:1804年6月23日生まれ、ベルリン:1854年7月6日没)は、初期から鉄道に関心を寄せ、経験も少なくリスクもあったが、オラーニエンブルク門の近くのショセー通り機関車用の機械工場を設立した。創立は、最初の鋳造が成功した1837年7月22日とされる。 相当な経費を投じた最初の機関車は、製造ナンバー1と名前BORSIGを担って1840年に完成した。この機関車は、内台枠、2'A1(2軸先輪と1軸動輪、1軸後輪)の車軸配置であった。7月21日には、ベルリン-ユータボーク間の鉄道でジョージ・スチーブンソンが造った機関車との競争が行われ、経験不足にもかかわらず、ボルジッヒの機関車は10分差で勝った。これはドイツ人が英国製と同等以上の機関車を造れること、機関車とエンジニアの輸入がもう不要なことを示した。この後注文は急速に増大、同形の6両を、1842年にベルリン・シュテッティン鉄道とオーバーシュレージエン鉄道が購入した。 ボルジッヒ社は当初、建設用等の部品も鋳造したが、ほどなく重点を機関車製造に移し、ボルジッヒの名が今日まで機関車と結びつくこととなった。1843年までに、プロイセンの鉄道各社が18両の機関車を注文した、1844年にはベルリンの産業フェアで24両目の機関車を展示、そして100両目の機関車は、1846年に完成した。一方、ボルジッヒはサンスーシ宮殿の噴水用蒸気ポンプを製造、ポツダムのニコライ教会のドームとベルリン王宮の建設にも参加した。新しい鉄道がドイツ中で造られていたため、同社はこの時代に急速に拡大していった。1847年に、モアビト鉄工所の建設を開始、1849年に操業開始した。キルヒ通りの工場が1850年に買収され、3つのベルリン工場の従業員総数は1800で、ボルジッヒの会社は当代の大企業の一つになった。 富裕になったボルジッヒは、多くのアーティストの後援も行い、行動的で厳しいが正当なトップと言われた。労働者福祉としては、疾病基金、葬祭基金と貯蓄銀行が作られ、会社には教育室、食堂、プールつき風呂が設けられた。 1840年代末までの成長でボルジッヒは1848年-1852年の経済危機をほとんど損害を蒙らずにしのいだ。1851年からは、ワルシャワ-ウィーン鉄道とゼーランド鉄道など、外国の鉄道会社からも注文を受けた。500両目の機関車が1854年に完成した後にボルジッヒが得た枢密商業顧問官の地位は同社の独占的地位を許した、1854年には68両の新しいプロイセンの機関車のうちの67両がボルジッヒの工場で製造された。しかし成功の頂点で、彼はその年の7月6日に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボルジッヒ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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